1929年・岡山県の女性十傑

1929年に山陽新報(※現在の山陽新聞の前身の一つ)で実施された女性十傑というアンケートがありました。
まず結果は下記の通りです。

1.吉備由利
2.金光登勢子
3.きた女
4.和気広虫
5.吉備樟媛
6.景山英子
7.源空の母
8.三村隆徳の妻
9.古川古松軒の母
10.松原三穂子

気になった人物の解説

羅列してきましたが、個人的に気になった人物について触れます。

1の吉備由利は孝謙天皇/称徳天皇に重用された女官で、吉備真備の娘(妹説もあり)です。
称徳天皇が体調を崩した際に唯一部屋への出入りを許されました。そして家臣とのやり取りの取次を務めました。

2の金光登勢子
資料の解説によると金光教の教祖の妻とされています。
…とすると、金光大神の妻であるとせ様ということになります。
山陽新報の記述が間違いでなければ、正確には登勢子でとせ様と愛称のように呼ばれていたということでしょうか。

5の吉備樟媛
この人は吉備稚媛の息子・吉備上道兄君の妻です。
つまり吉備上道兄君を暗殺した人物です。

8の三村隆徳の妻
これは最初に見た時は誰なのか判りませんでした。
どうやら三村隆徳は玉野市の常山城の城主だった上野隆徳とイコールのようです。
本人が三村隆徳を名乗っていたような事を書いてある資料が見付かったので、その妻なら女軍を率いて戦った勇猛な鶴姫です。

ところで個人的には9の古川古松軒の母が特に気になっています。
勝という女性で古川古松軒が8歳の頃に亡くなられているそうですが、この十傑で上位に出るようなエピソードが何なのか判りませんでした。
また調べてみようと思います。




こちらもお勧め  勝央町、美咲町の由来アップ