尾原地区の散策で気になっていた建物の一つ、小学校跡に行ってきました。
これは郷内小学校の尾原分校です。
三余塾を起源とする学校です。
元々は木見に硯池小学校~木見尋常小学校で、第二郷内尋常小学校時代を経て明治41年からは現在の郷内小学校の分校(分教場)として設置されてきました。
尾原地区は自動車が普及する以前の由加山へのお参りが盛んだった時代に、参拝客らが立ち寄る事で賑わっていたそうです。
人口も多かったのでしょう、当初は木見に置かれていた分教場が尾原に移されています。
これが校舎です。建物は地区の倉庫のようになっているようですが、特に再利用されているようではありません。
しかしそれも今は昔。
2008年からは休校になりました。その数年前には同敷地内にある郷内幼稚園尾原分園も廃止されています。
そのまま休校状態が続いていましたが、2020年度をもって廃校が決まりました。
国立情報学研究所のサイトで公開されている2020年のデータによると地区の人口は334人。
wikipediaに掲載の2012年のデータでは459人なので、急速に人口が減少し絵いる事が分かります。この流れを鑑みて、市は学校の再開は無いと判断したのでしょう。
備前焼の二宮金次郎像。
尾原分校が2008年まで残っていたのは、郷内小学校とのアクセスに問題があったようです。
1967年から尾原分校は3学年までとされました。
先に紹介した後者の写真を見て随分と小さいと思った人もおられると思いますが、3学年までとされた後に竣工した建物なので3学年分しか用意されていません。
4年からは郷内小学校に通います。
距離は3キロほどありますが、スクールバスは出ていないので歩きか路線バスを使う事になります。
恐らく小学校低学年だとそれは厳しいだろうという事で、3年生までは地元で通学できるようにしていたのでしょう。
こちらが前述の郷内幼稚園尾原分園の建物です。
小さい。
閉園後は小学校の施設として統合されたようですが、建物をざっと見た感じでは恐らく統合後もほとんど使用されていなかったのではないでしょうか。
続いては懐かしいこんな施設も残されていました。
小学校のプールのシャワーです。
水が出る部分は外されていますが、私が通っていた小学校にもこのような形状のシャワーがありました。
水着に着替えたばかりで浴びるシャワーが冷たくて、みんなで騒いでいたのもいい思い出です。
プールが出来たのは1971年です。
3学年制になった後というのが意外な気がしますが、児童数が減ったので小規模なプールで対応できるようになって設置が可能になった…という事でしょうか。
この時代のプールだと腰から下を消毒する腰洗い槽もありそうですが、それらしい施設はありませんでした。規模的なものなのか、それとも近年は使用されなくなったので廃校までの間に取り除かれてしまった可能性も考えられます。
体育館です。
尾原地区を散策する前にGoogleマップで下調べをしていて、この体育館が妙に立派でなんだろう?と思っていて尾原分校の存在を知りました。
既に休校どころか廃校が決まった後ではありましたが、貴重な小学校の設備を見る事が出来て良かったです。
この体育館は比較的新しい建物で、学校の沿革によると1992年竣工です。
現在でも地区の体育館としてしようされているようですが、恐らく建設当初からそのように運用されていたのではないでしょうか。
体育館に直に繋がる入り口も用意されています。
地区でも使用するからという事で、小学校に体育館を作ってもらった。
そんなところでしょう。
遊具たち。
なんとなくもの悲しさを漢字でKODAK PixPro S-1のコダクロームモードを使ってみました。
小学校跡は開かれていて中に入っていく事も出来ますし、遊具類も利用可能です。…と言っても、ブランコは使用できないようにしているのでアスレチック付きの滑り台と、校庭くらいですが。それでも使用された気配は感じられませんし、本当に子供がいないんだろうなと思いました。
昨今は中央市街地付近でマンション住まいという流れが強く、郊外で一戸建てという人は減ってきているようです。
当面はこの小学校跡地に子供たちの声が戻って来る事は無さそうです。
また長いスパンを置いて再訪してみます。
止まったままの時計。
電池交換をしてあげたいなと、そんな事を思いました。