6,7代岡山県知事を務めたのが笠岡市出身の加藤武徳です。

国会議員時代(その1)

中央大学を卒業後、内務省へ入りました。
そして参議院議員になれる最年少の年齢である35歳で国会議員に当選しました。

贈収賄事件の造船疑獄で逮捕されていますが、「儀礼的なあいさつと雑談の中での授受であり、請託がはっきりせずに、賄賂の意識がなかった」という理由で無罪を勝ち取っています。
要するによく判らないけどお金を出してきたから受け取った。でも何も頼まれてないよ?という事でしょうか。
出してきたからって、何でも受け取っちゃ駄目でしょ(笑)

岡山県知事時代

参議院議員を5期務めた後に岡山県知事へ転じます。
1964年に岡山県知事の4期目の途中だった三木行治が急逝した事に伴っての立候補でした。
※関連リンク:誘致キング・三木行治とは?岡山の街角から

実はこの時、岡山県内では大変な問題が起こっていました。
前年の1963年に日生町の福浦地区が兵庫県の赤穂市と越境合併をしました。
これを受けて福浦地区と同じく隣の県との交流が多かった笠岡市の茂平地区も、福山市との合併を目指して動き出していました。
この流れは用之江にも広まり、福山市への根回しも行われていました。
一方で岡山県はこのままではどんどん県内の地区が流出してしまう懸念があり、断固認めない立場でした。
こんなタイミングで県知事に就任したのが、合併騒動のさなかにある笠岡市用之江の出身である加藤武徳でした。

地元の名士が県知事で、更に頭を下げた事から地元の合併派もここで収束してしまいます。
たまたま出身地だったという事情はあるものの、就任するや県内の大きな問題を解決したのです。
※関連リンク:岡山県の越境合併岡山の街角から

国会議員時代その2

2期務めた加藤武徳ですが、1972年の選挙で新人の長野士郎に敗北します。

そこで彼は国会議員に復帰します。
元いた参議院議員へ当選、1992年に次男の加藤紀文へ地盤を譲るまで務めました。

県知事に落ちて、国会議員になる男!
知事で落選しても国会議員で当選する事があるというのも、選挙の面白いところですね。

ちなみに弟は元衆議院議員の加藤六月で、その娘(次女)と結婚した加藤勝信は義理の甥に当たります。




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