古書で岡山県の郷土史の本を入手したところ、本の間に何やら挟まっていました。
最初は出版社の宣伝のチラシのようなものかと思ったら、なんと笠岡市の鳥羽山長法寺の開創800年を記念した開扉法会のリーフレットでした。
なんと昭和48年の物です。もしかすると購入した郷土史の本よりも貴重な物かもしれません。
長法寺は山号にもある通り鳥羽上皇ゆかりの寺で、もちろん現在も存続しています。
昭和48年なので、既にこのリーフレット自体が半世紀も前の物ということになります。
ストリートビューで現在の様子と比べてみましょう。
今とほとんど変わっていませんでした。
ただリーフレットの頃を見ると、寺の前は畑のように見えます。それが今は駐車場のようになっています。
当時は自給自足に近い形をとっていたのでしょうか。
ではリーフレットの中を見て行きましょう。
本堂についての解説です。
寺院は鳥羽法皇の勅願にして行基菩薩の開基とあります。本尊は薬師瑠璃光如来です。
このリーフレットは普段は公開していないこの本尊が見られる機会としての開扉法会の案内なので、言うまでもなく本尊の写真はありません。
注目は本堂の建設期間でしょうか。
明治33年3月起工、明治44年4月竣工と10年以上の年月が費やされています。当時の寺院建築にかけていた期間は判りませんが、建物の規模の割に長く感じたのですが、どうでしょう。
特に理由らしいものは書かれていません。
客殿の方には昭和15年末の上棟、戦後の完成とあります。
こちらは竣工がいつなのか触れられていませんが、大東亜戦争突入直前の為に資材集めに困難した為に工期が延びたという旨の記載があります。
建物の規模的には客殿の方が大きいわけですが…。もちろん明治と昭和なので技術的な違いもあるでしょうし。
ちなみに写真右側の弘法大師御影の掛け軸は法光大師の手によるものとされ、本尊と同様に寺にとって最古の寺宝なのだとか。
こちらのページでは長法寺境域の跡として井原市木之子町が紹介されています。
小田川の辺りまでが寺の所領だったということでしょうか。木之子町の小田川辺りまで約9㎞です。寺院としてはかなりの力を有していた事が伺えます。
こちらは安楽寿院南陵の解説です。
鳥羽上皇との関係ですが、読んでいて唐突に話題が長法寺から離れるので、一瞬頭がついてきませんでした。
元々あったものは「大東亜戦争役に供出」とあります。
そして開創法会記念に新鋳すとあります。これはもしかするとこの800年の記念で新調されたものなのでしょうか。
写真がモノクロで分かりづらいですが、よく見ると鐘全体を布で覆っているように見えます。
新しい鐘なら見てみたいなと思ったものの、このリーフレットが出来てから既に50年以上が経過しているので、長法寺を訪れてもそれなりに年季の入った鐘になっていますね(笑)