玉野市番田の辺りで確認したいスポットがあり、周辺で他に回れる場所がないかと探していると、山の上に変わった名称の教会を見つけました。
ナザレの里キリスト教会。
ナザレはキリスト教やイスラム教に大きな影響を与えたとされる宗教家です。
興味深かったのと、ちょうど徒歩で回れる距離だったので行ってきました。
鉾立公民館の辺りにバイクを止めて、北側の山道を進んでいくと十字架の付いた建物が見えてきました。
これがナザレの里 キリスト教会です。
ちょうど牧師様の奥様がおられたので、たくさんお話を聞かせて頂きました。
お二人は元々は倉敷市児島地域の教会で牧師をなさっていました。
それが定年になるにあたって、教会でも退職金が出るそうです。
そのお金が入った時に考えたのが、お子さんのことだったとか。
「遺産を残すことで、それが不和を生み出すのではないか。」
それならと、そのお金で新たにお二人の教会を立ち上げることにしたのです。
そして牧師様の好きな自然豊かな土地を購入し、信者さんと共に手作りの教会を作りました。
私は実際に中も見せていただいたのですが、非常に立派な木の匂いのする良い建物です。
器用な方が手作りをしたり、時には解体した建物の材料を持ち寄ったりして作り上げたそうです。
教会の周りで畑を作ったり、ヤギや養蜂などをしながら半ば自給自足のような生活を送っておられます。
この日は本当に色々なお話を聞かせていただいたのですが、奥様がキリスト教へ辿り着くまでのエピソードが興味深い内容だったのでご紹介します。
奥様は京都市出身です。
京都と言えば「ぶぶ漬け」の話が有名です。茶漬けを食べていかないかという言葉が、実は帰宅を促す表現である…というような遠回りに本音を伝えようとする表現のことです。
現在は分かりませんが、奥様の時代はそういう本音と建前を使い分けるようなところが実際にあったそうです。
自身も京都市出身ながら、郷土のそういうところが好きになれなかったのです。
そして進学したのが仏教系の学校でした。ここでは仏教の教えを説きながらも、裏では学校内の派閥争いが繰り広げられていました。
奥様は人間の嫌なところを見て、そういう裏表のない人間性を求めるようになったそうです。
そして行き着いたのがキリスト教会でした。
パンケーキの話を教えていただいたのでご紹介します。
奥様が育ってきた環境ではパンケーキを勧められて、1度は遠慮してから再度勧められて頂きました。
しかしキリスト教では最初の遠慮で「あぁ、この人はパンケーキを食べないのか」と引っ込められてしまう。食べたいなら頂きますで良いのだと。
そういう駆け引きのない人間関係に惹かれたのがキリスト教を信じるようになった始まりだったのだとか。
老練というのか、お話を聞いていて宗教と生活の距離感が非常に近い感じを受けました。
何十年という月日をキリストの教えに寄り添って生活をしている内に、自然体になっていったのでしょう。
いい出会いが出来たなと思いました。
教会では日曜日の11時に礼拝を行っておられます。興味がある方はぜひ立ち寄ってみて下さい。