【玉野】消えゆく「タマヤ」の記憶を追って|玉原ニュータウンに残る店舗跡と、陸の孤島の日常

先日、玉野市宇野にあるタマヤの店舗が競売に出ている事を紹介しました。
経営難から京都の会社に買収され、それでも業績が回復せず、その余波から親会社になった会社共々倒れるという悲劇的な最期でした。
タマヤは元々は玉野市内に中小規模の店舗を幾つも構えるお店でした。晩年まで残っていたのは本店でもある宇野店、東児店の二店舗ですが、例えば尾坂峠手前にある田井のこがね製麺所は旧田井店の建物ですし、玉の移転した井上薬局の旧建物(現在は税理士事務所)も小さいながら玉店という店舗でした。
このように多くの店舗跡がたとえ残っていても地元民以外は分からなくなっているのですが、実は玉野市長尾にそのまんま残されている店舗もあります。

玉野市民なら郷愁に誘われること間違いなしの「タマヤ」のロゴが堂々と掲げられています。
ここは玉野市長尾に開発された玉原ニュータウンという住宅地の一角にあった店舗で、その名も「タマヤ玉原ニュータウン店」の跡です。
玉野市玉原の一角にある企業団地の奥にある山裾の土地を開発した、いわゆるニュータウンです。
玉原から見て手前側に玉原ニュータウン、そして奥側にも同様のニュータウンである「レイク玉原」が広がります。

昨今、ニュースなどで騒がれるような限界ニュータウンとか、そういった類の場所ではなく、今も多くの人が住んでおり、新しい家もチラホラと見えます。
私の両親も家を建てる際に、このニュータウンを検討したことがあったそうです。
その時に不動産屋から次第にお店が増えて、とても便利な住宅地になっていく…と言われたそうです。
ですが、結局のところこの二つのニュータウンに出来たお店は先ほどのタマヤ一店舗のみでした。それも早々にお店を畳んで、現在では自動販売が一つあるばかりです。
私の両親も次々にお店が出来るはず…の割には、その時点で唯一のお店だったタマヤは全然流行ってないし、この話は信じられないぞ…?という事で、最終的に別の場所で家を建てる事を決めたそうです。
住宅地に一つの店もない…というのは、別に地方なら珍しい事ではないのですが、玉原ニュータウンとレイク玉原は周囲を坂に囲まれた小高い場所に位置しています。
車や原付バイクでもあれば、坂を下りればコンビニもスーパーもドラッグストアも…と、何でも揃う玉野でも有数の好立地なのですが、徒歩となると途端に陸の孤島のような立地に早変わりしてしまいます。
なので高齢者にとってはかなり厳しい環境なのです。その事を気にかけてか、タマヤも常設のお店としては早々に撤退したものの、その後も定期的にお店を開けて地元の人の買い物を助けていました。
しかしそれも昔。今は誰かが建物を購入したのか、倉庫のように使用されているようでした。

先に書いた通り、ニュータウンとしては成功例と言っていい場所で、多くの人が住んでいます。今回の行程で二つのニュータウンを徒歩で通り抜けましたが、何人もの住民と顔を合わせていますし、車の行き来も何台かありました。田舎の住宅地としては、凄くアクティブな部類に入ります。
しかし玉野のような田舎にはありがちな事ですが、隣接する岡山市や倉敷市に仕事に出て、その帰り道で買い物を済ませてしまうので、わざわざ玉野の小さなスーパーを利用する事はありません。地方では高齢な方もギリギリまで車の運転をされます。
なのでタマヤも早々に撤退、後に続くお店も出てこなかった…という事でしょう。
結びに代えて
タマヤの看板が色褪せながらも残っているのは、かつてこの街が描いた「夢の跡」のようにも見えます。
住宅地としては今も活気に溢れている玉原。しかし、一歩「徒歩」という視点に立てば、そこには地方都市が共通して抱える、高齢化と利便性のジレンマが横たわっています。
昨今では運転の能力が衰えてくると免許返納をする人も増えてきました。
しかしこのニュータウンのようにお店が近くにない環境では、それも難しいというのも一つの現実です。
コミュニティバス、タクシー、移動販売。様々な方法で人々の暮らしを支えていく施策が求められます。
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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。













