宗堂桜と悲劇の伝説【岡山・妙泉寺跡】日蓮宗不受不施派の歴史に触れる旅

1. 宗堂桜の「伝説」の起源へ:岡山・妙泉寺跡を訪ねて

 

先日、宗堂桜の駐車場で話題となったユーモラスな岡山弁のパンフレットの話題から一転、今回はその桜の悲しい伝説の起源に深く触れたいと思います。

宗堂桜が咲き誇る一帯は、かつて妙泉寺(みょうせんじ)という寺院があった辺りです。桜の時期には多くの人で賑わう公園の一角に、ひっそりと供養塔などの古い寺院跡の風景が広がっています。この地にこそ、宗堂桜の神秘を紐解く鍵があります。

2. 時の権力に抗った日蓮宗不受不施派の歴史

 

妙泉寺の宗派は、日蓮宗不受不施派(にちれんしゅうふじゅふせは)と呼ばれるものです。これは日蓮宗の古くからの教えを厳格に踏襲し、「他の宗派からの施しを受けない(不受)」、そして**「他の宗派への施しもしない(不施)」**という強い姿勢を守り続けた宗派です。

この純粋な信仰心は、時の権力者と対立することが少なくありませんでした。特に江戸時代には、キリスト教徒と同様に禁教とされ、激しい弾圧の対象となります。

中でも岡山は、この不受不施派の取り締まりが特に厳しかった土地とされています。そして、妙泉寺の住職もその苛烈な弾圧の最中、暗殺されたと伝えられています。

3. 悲しみに閉ざされた宗堂桜の伝説

 

住職が非業の死を遂げて以降、寺周辺の桜は完全に開き切らずに咲くようになったと言い伝えられています。

これは、桜も殺害された住職の悲劇を憐れみ、深く悲しんだためだ、という何とも切ない伝説です。科学的にそのような感情があるとは考えにくいものの、実際に宗堂桜は他の地区に持ち込んでも上手く増やすことができないのだそうです。この事実が、伝説に一層の神秘性を与えています。

4. 日鏡上人の供養塔と寺院跡の痕跡

こちらが、暗殺されたとされる日鏡(にっきょう)上人の供養塔です。

私が訪れたのは桜の時期ではありませんでしたが、私の他に人影はなく、静寂に包まれていました。しかし、日ごろから管理されている方がおられるのでしょう、供養塔の前には新鮮な花が供えられていました。

宗堂桜を楽しむ際には、この伝説の趣旨を心に留め、ぜひ供養塔に手を合わせて、上人の魂と歴史に思いを馳せていただきたいものです。

また、数少ない寺院跡の名残として、手洗いの跡なども残っています。歴史の重みを感じながら、ゆっくりと散策してみてください。




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