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【倉敷】茶屋町・柳田共同井戸が語る昭和14年大旱魃・渇きの記憶

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倉敷市茶屋町周辺の小さな寺社を見て回っていた時の事です。
住宅地沿いの道を歩いていると、何やら意味ありげな石の囲いがありました。

こちら、どうやら井戸のようです。何やら文字が刻まれていたので、読んでみました。


昭和十四年九月吉日
大旱魃
柳田共同井戸新設

後は敷地や井筒を石原という人が寄贈したという事が記されているようです。

昭和14年(1939年)の干ばつについてネットで検索してみると、すぐに様々な情報がヒットしました。
この年は全国的に少雨で、特に岡山県も含む西日本では春~夏にかけて極度の水不足に悩まされたようです。

倉敷市公式サイトでも当時の状況について触れられており、年間の降水量は例年の半分程度、特に7月に至っては11ミリしか雨が降らなかったようです。
このような状況に耐えかねて井戸を新たに作って対応をしたのでしょう。

果たしてそのような降水量で、新たな井戸がどれくらいの効果を発揮したのかは疑問ですが、井戸にはさすがにそこまでは記されていませんでした。

現在は使用されていないようですが、覗き込んでみると水がしっかりありました。
80年以上の年月を経て、今でも水のある井戸。すごいですね。

ゴミが投げられているのが残念です。設立までの経緯と言い、もっとアピールしてもよさそうです。

ところで興味深かったのは先の写真の「和」の字。のぎへんの右側が伸びて、しんにょうのように口の下まで届いています。
現在では見かけないような異体字です。この字も面白いですね。当時はよく使われていたのか、それとも書いた人の癖字なのか。

という事で先人が文字通り命がけで作ったであろう井戸。
今は街角の雑草に埋もれそうになっていますが、水の大切さと自然の危うさを伝える為にいつまでも残っていて欲しいと思います。




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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。

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