笠岡のたどり着けない場所とは?
笠岡市金浦地区を散策する際に、何か興味深いスポットが無いかと思って調べていると「全国心霊マップ」さんに「たどり着けない場所」というスポットが登録されているのを見つけました。
このサイトに関しては、利用者の投稿により情報が収集されている物の、掲載基準が緩くガードレールの収縮などで音が出る現象が登録されていたり、信ぴょう性に欠けるところがあるので情報源としては弱いのですが…。
解説を読んでいると、単に川沿いにある家で辿り着く為の道が無いというスポットのようです。
心霊、関係ねーじゃん。これなら信ぴょう性は問題なさそうです。
ここは笠岡の竜宮荘という建物です。
「老人憩いの家」とあるので、高齢の方の為に設置された集会所のような建物でしょうか。集会所、公会堂と言った建物は引退された年代の方が使う事が多いですが、そもそも高齢者向けにしてあるのは興味深いですね。
どのような運用をされているのか興味深かったのですが、残念ながらこの日は利用者の方はおられませんでした。
辿り着けない場所を見るのにいい場所を探していたところ、恐らくこの建物が最も近くになると思います。
位置関係としてはこのような感じです。
竜宮荘の裏に回るとよく見えます。
では実際の様子を。
このような感じです。
確かに朽ちてしまった建物があります。恐らく二棟です。
先のサイトでは右側の方から陸路を辿ってこられるのでは?という意見もありましたが、そこは河口なのでそもそもそちらにたどり着けません。
では幾つか仮説を立ててみましょう。
①寺院から行けたのでは?
最初に地図から疑っていたのが、建物の北側にある寺院です。
ここから線路の下をくぐる道があったのではないか?という事です。
これに関しては現地で確認してきました。
建物のある側は墓地になっていますが、そのような道があるようには見えません。
そもそも日常的に通る場所が墓地というのもどうかと思います。
建物が使用されななくなってから墓が出来た可能性も考えましたが、古い墓石もあるので現実的ではないように思います。
②建物が使用されていた頃は線路が無かった/通れた
ここでは二つの可能性を考えてみました。
まず一つ目は建物が使用されていた頃は線路が無かったという可能性です。
…が、山陽本線で笠岡駅~福山間が開通したのは1891年の事です。
僅かに見える建物はかなり古い物ですが、それでも130年以上も前の物とは考えづらいです。
単線の時代は通れたのが複線化した時に通れなくなったという可能性も考えられます。
wikipediaをめくってみると笠岡駅~大門駅間が複線化されたのは1923年、約100年前の事です。
ちょっと厳しいような気もしますが、ギリギリありうるのかもしれませんが…。
③そもそも航路でしか来れなかった
先ほどのたどり着けない場所の画像を切り抜いて拡大してみました。
よく見ると堤防が二重になっているます。
明らかに手前側は新しく、奥側の方が古いものになっています。
私は新しい手前側の堤防しか見えないので航路でも難しそうだ…と思っていましたが、もしかすると新しい堤防が無ければ船で容易に上陸できるような作りになっていたのかもしれません。
Googleマップの航空写真機能でも画像が粗くて確認できませんでしたが、可能性としては考えられそうです。
最初から建物があれば鉄道会社が通れる道を作るはずなので、線路が出来た後にこの場所に建物を作った。最初から舟での移動しか出来ない場所だった。建物が使用されなくなり、港湾整備の際に危ないから新しい堤防を建物手前に作った。
そうする事でたどり着けない場所が出来た…という流れではないでしょうか。
④渡れる場所があった
基本的に②の線路を通れたと同じないようです。
写真を撮り忘れたので、ここだけストリートビューに頼ります。
ここは先ほど墓地の写真を掲載した寺院のすぐ西側を通る道路です。
ここに線路上に上がる為の道が備え付けられています。
線路の整備の為に着けられている設備で、特に珍しい物と言うわけでもありません。
ただこの場所にある事を深読みしてみると、たどり着けない場所の建物へ行き来する為に設置された可能性はないでしょうか。
かつては遮断機の無いような踏切で行き来できていたが、人が住まなくなって必要が無くなったので撤去した。
そもそも簡易的な踏切だったので、撤去後にバラスト(石)を巻いたら痕跡も消えてなくなったのであれば、現在のような謎のいけない場所になったのも納得できるような。
個人的にはこの説が有力ではないかと考えますが、どうでしょうか。
実際のところをご存じの方がおらられば、ぜひ教えてくださいませ。