前に別のスポットを探していて、気になっていたのが岡山市東区西大寺松崎の「松崎彦四郎範家の墓」という石碑です。
私は地名の由来のサイトを作っているので、地名と名前が重なるとなると新たな由来があるのではないかと気になってしまいます。
という事で調べてみました。
こちらです。
線路の真横に位置します。ちょうど新しい住宅地と昔からの住宅地の境目くらいの場所です。
この石碑自体は新しいように見えます。
松崎彦四郎とはなんぞや?という人の為に簡単に解説すると、児島高徳の甥と伝えられ、その命を救った活躍が描かれています。
また敵の大群に少数で向かっていき、相手が多勢と勘違いして撤退したというお話もあります。児島高徳の親族はヒーロー一家なのでしょう。
石碑横の石段を進んでいくと墓所に辿り着きます。
ただしきちんと整備されているのは最初だけで、上の写真のように道なのかどうか非常に悩ましい状態になっていきます。
初めて見た時はこの状態で進んでいる方向が合っているのかもあやふやだったのと次の予定があったので引き返してしまいました。今回はこのまま進んでいきます。
途中でこんな状態の道を抜けて目的地です。
お参りする人も少ないのでしょう。戦前では英雄視されていた児島高徳も現代ではその知名度は高いとは言えません。
歴史好きの人なら白桜十字詩を知っているくらいではないでしょうか。
いわんやその親族となれば、もはやマニアックの領域なのでしょう。
もう10年も人の手が入らない状態が続けば、この道は竹林に飲まれて、訪問自体が難しくなってしまうかもしれません。
ただしそこまで荒れているのはこの一角のみで、ここを抜ければ目的地です。
これが松崎彦四郎の墓です。
周囲が舗装されているので草に飲まれる事もなく、比較的良い状態で残されています。
この場所が彦四郎の屋敷があった場所とされています。
家の場所に松の老木があり、それが地名になったと言われています。
どちらかと言えば松の老木がある場所に屋敷を構えていた事から松崎を名乗るようになり、児島高徳の親族の名前を頂いて地名の松崎が誕生したという流れなのではないかと思いますが、どうでしょうか。
前述の通り今後の管理次第では訪問が厄介な場所になりかねません。気になる方はお早めにご訪問ください。
駐車場はありませんが、近くで道幅が広がっており、駐禁でもないので迷惑にならないように止めればこのスポットの散策くらいの時間は問題ないかと思います。