倉敷市木見に墓のある頼仁親王は父、後鳥羽天皇の承久の乱に連座して備前児島(※現在の児島半島)に流されました。
その地としては親王が再興した五流尊瀧院のある林付近が知られています。

倉敷市木見、頼仁親王墓

しかし最初に児島で訪れたのは玉野市小島地だったと言われています。

正確には豊岡庄児島という事が記録があり、これが現在の小島地を指しています。

小島地は玉野市の荘内地区の西武の山間に位置する地区です。
ここから林へ移る事になった…というのがこの説です。
小島地からまず玉野市滝へ行き、そこで宿を取って由加を超えて林へという経路です。
最初に訪れたとされる小島地には政所、移動の際に宿泊した滝には御所の地名があり、これらは親王に由来するものと見られています。

現在の倉敷市林地区は県道沿いに商店などが立ち並びますが、恐らく当時の様子は静かな山間の農村部といった趣だったのではないでしょうか。
恐らく小島地は当時の雰囲気を少なからず残しているのでしょう。
華やかな都市部からは引き離されるものの、過ごしやすい土地が選ばれているという印象です。

配流される土地がどのような場所なのか…、それが垣間見えるようで興味深かったです。
ちなみに親王の行程については最初から林だったとする説もあります。




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