ずっと以前の事ですが、サイトのメールフォームから下電ホテルにかつて別館があった事を教えて下さった方がおられました。
ただホテルの所在地が櫃石島でした。下電ホテルからも見える瀬戸大橋が橋桁を下ろす島の一つですが、属しているのは香川県です。私のサイトの管轄外ですし、余り記事としてのニーズも感じられなかったので当時は情報を頂いたきりになっていました。
しかし最近になって別の調べ物をしていて、たまたまひついしホテルの情報に出くわしました。
先日紹介したアクア小与島の記事も好調に推移していた事もあり、今回の機に紹介していこうと思います。
ちなみにアクア小与島の記事はこちら。こちらは別館という訳ではありませんが、岡山で最も有名な廃墟の一つラ・レインボーの運営会社のホテルでした。
ではひついしホテルについて見て行きましょう。
結論からいきなりブレブレなのですが、実はひついしホテルが下電ホテルの別館だったのかどうかは不明です。
下電ホテルの公式サイト内には企業概要がありませんので、wikipediaを見てみましたが沿革にひついしホテルの名前はありません。
ただし下電ホテルは1932年に起源となる旅館「 鷲麓園」としてオープンした非常に長い歴史のある企業です。終戦直後にはアメリカ軍に接収され、軍人やその家族の保養施設として運用されていた時期がありますが、wikipediaではそれらについても触れられていません。こうした詳細が触れられていない以上、ひついしホテルが抜けているからと言って、下電ホテルの別館ではない可能性について論じる材料には出来ません。
ではこの話はどこから出てきたのでしょう。
それについて調べてみると映画「バージンブルース」が論拠としてヒットしました。
この映画はオープニングでスタッフロールが流れるのですが、その中にひついしホテルの名前が登場します。
このように下電ホテルの隣に「別館 ひついしホテル」として名前が登場しています。
書いてある通りに受け止めるなら、下電ホテルとその別館であるひついしホテルと読めます。もう一つロケ地として名前が挙がっているホテル目黒エンペラーはやや離れた場所に配置されています。この位置関係からも下電ホテルとひついしホテルが近しい関係である事が推測できます。
余談ですが目黒エンペラーは有名なラブホテルで、かつてエンペラーという名前のラブホテルが各地に出来たくらいよく知られたホテルでした。
岡山県でも岡山市に岡山エンペラー、倉敷市にもエンペラーというラブホテルがありました。
閑話休題。
話しが前後しますが、ひついしホテルは随分と昔に営業を停止したようで現在はその廃墟が残されています。
という事で廃墟検索地図のサイトでも紹介されています。このサイトは様々な情報が集められており、タレコミも多いのか閉業済みの施設に関してはwikipediaを超える情報量を有している事もあります。早速調べてみると下記の3点の情報が得られました。
開業時期不明。1961年時点でも小さな建物が所在するが、現存建物は1960年代~1970年前半に建設されている。
1979年頃に廃業し、その後、1978~1988年の瀬戸大橋建設時に改修され、作業員の事務所として使用されていた時期があったという。
対岸にある現役ホテル「鷲羽山下電ホテル」の別館であるとも言われるが、詳細不明である。
(引用:廃墟検索地図「ホテル櫃石」)
…という事で、やはり下電ホテルの別館かどうかは分からないという事のようです。
この情報が正しければ瀬戸大橋の建設作業員の事務所として貸し出した時期に廃業した事になります。恐らく工事が本格化して宿舎としても提供するようになり、その時点で一般客を受け入れるスペースが無くなるので廃業といったところでしょうか。まだ開業してからさほど経っていない時期の事ですが、貸出期間が10年にも及ぶのでその間の貸し賃で建設費は回収できたのでしょう。
そもそも櫃石島が観光で栄えたという記録も見当たりません。好景気の時期に勢いで作ってみたというように見受けられます。
ちなみに櫃石島へは現在も車で行く事は出来ません。瀬戸大橋から道路は降りてきているものの、通行できるのはカードを配布されている島民や路面バスのみです。
経緯については不明ですが、橋から島に人が過度に降りてくることを島民が嫌ったのではないでしょうか。ホテルがある島で、観光産業で潤っていたとすれば、寧ろ橋から車が降りてこられるように要望された筈です。
ちなみにこちらがバージンブルースでチラッと写る在りし日のひついしホテルの外観です。
オシャレな感じです。
1970年代前後の建造のようですが、欧風でなかなかおしゃれな建物です。
廃墟検索地図で紹介されている事からお察しですが、瀬戸大橋完成後は放置されており、建物は廃墟化しています。
既に天井なども崩れており、再利用は不可能な状態です。
航空写真で現在の様子をご覧ください。
特に南東部の辺りで崩壊が強いのは潮風の影響でしょうか。
廃墟検索地図のサイトでも提供写真が表示されていますが、許可を得て撮影しているとは思えないので当ブログとしては特におすすめはしません。
この廃墟を紹介している個人ブログなどで、過去のものには少し離れた中から木々に飲まれたこのホテルが見える様子を紹介している物もありますが、この辺りが崩壊している為か、ストリートビューではほとんど視認できませんでした。
最後にホテル名についてですが、今回の記事内では情報源となったバージンブルース内でのクレジットの「ひついしホテル」で通しましたが、過去に廃墟に潜入した人のブログなどを見ると、実際に用いられていたのは「ホテル櫃石」だったようです。