炎のアイコンの下で、まだ生きている人たちへ ―事故物件サイト「大島てる」を歩いて見えた、日本の歪み

日本最大級の事故物件サイト「大島てる」。
私はこれまで、岡山県内に掲載された数多くの物件を、現地・資料・過去の記録と突き合わせながら検証してきた。
その成果物は各市町村の記事と、まとめページとしてブログで公開しているので見てほしい。

膨大な投稿の中には、背筋が冷えるような事実もある。
一方で、根拠の乏しい誤情報や、書き手の好奇心だけが先走った投稿も、決して少なくない。
大島てるのサイトで事故物件のマークとして用いられる炎のアイコンは、必ずしも「真実の印」ではない。

なぜ、私はこの“影の記録”を追い続けてきたのか。
それは事故物件が「怖いから」ではない。
そこには、今の日本が抱える孤独、介護、そしてネット社会の無責任さが、あまりにも露骨に刻まれているからだ。

1.「1行の投稿」と、現実のあいだにある深い溝

地図上に並ぶ炎のアイコンと、そこに添えられた短い一文。
だが、その1行と現実のあいだには、想像以上に深い隔たりがある。

私は検証の際、ストリートビューの過去の様子が確認できるタイムマシン機能を多用する。
「入れ替わりが激しい」と書かれた物件を遡ると、確かにカーテンの色が変わり、ある時期には窓辺が空白になっていた。
投稿者は、その断片を見て「何かある」と判断する。

しかし、その部屋にいた人が、どんな事情で去り、どんな思いで次の生活へ向かったのか。
それは、画面の向こう側には一切映らない。

実際には、誰も亡くなっていないのに「事故物件」として残り続けている例もある。
焦りや思い込みから生まれた「病死事故」という、意味の曖昧な言葉が使われることもある。
そこにあるのは事実ではなく、「早く誰かに知らせたい」という功名心や不安が先走るばかりの言葉の羅列でしかない。

情報の解像度が低いネットだからこそ、私たちは投稿の裏にある“生活そのもの”を想像する努力を放棄してはいけない。

2.事故物件の奥に漂う、やり場のない感情

実際の現場を巡る中で、私の足を止めたのは、事件の凄惨さそのものではなかった。
そこに至るまで積み重なった、人間の感情だった。

強制退去を前に、自ら家に火を放った女性。
自分の家ではなく、隣のアパートを最期の場所に選んだ男性。
あるいは、50代という年齢で、介護の末に感情が摩耗しきってしまった夫婦。

私自身、家族の介護を経験し、「もう少し病状が進んで落ち着いてほしい」と願ってしまったことがある。
その経験があるからこそ、現場で感じた重さを、単純な善悪で切り捨てることはできなかった。一歩間違えれば、そこにいるのは自分自身だったのだから。

庭のコンテナを最期の場所に選び、周囲への被害を避けようとした形跡。
残される愛犬を気遣うような言葉が残された遺書。
事故物件という言葉を外せば、そこには、逃げ場を失いながらも最後まで人間であろうとした痕跡が確かに残っている。

3.「消せない情報」と、発信者の無責任

この検証で、私が最も強い憤りを覚えたのは、情報が「消せない」仕組みそのものだ。

誤情報を正そうとして削除依頼を出すと、その行為自体が新たな投稿として記録される。
住所は残り、炎は消えない。
一度押された烙印は、訂正すら許されない。

大島てるは「知る権利」を支えている。
同時に、そこに住む人、所有する人から「忘れられる権利」を奪ってもいる。

「死んだに違いない」
その一言は、時に亡くなった人よりも、生きている人を深く追い詰める。
投稿者の無責任な好奇心は、現実の生活を壊す力を持っている。

これは他人事ではない。
サイト運営者も、SNS利用者も、書き手である私自身も含めて、向き合わなければならない問題だ。
※この記事を展開していた当時の大島てるは、当該記事に書き込みをすることでしか削除依頼が出せないシステムでした。この文章を書いている今は、郵便での対応に変わりました。これが改善なのか改悪なのかの判断は各人の判断に譲ります。

4.それでも、私は街の「影」を記録し続ける

なぜ、事故物件の情報を読み漁り、気の滅入るような場所を歩き続けるのか。
それは、街の「光」だけを見ていては、その輪郭が見えてこないからだ。

美しい景観や誇らしい歴史の裏側には、確かに孤独や絶望も存在している。
それらも含めて、その街は形作られている。

事故物件を追うことは、野次馬的な行為ではない。
そこに確かに存在した誰かの人生を、敬意を持って拾い上げる作業だと、私は考えている。

まとめ

情報は不確かで、ネットは残酷だ。
だからこそ私は、現場を歩き、記録を突き合わせ、書き続ける。

誰かの最期が、ただの「事故物件」という四文字で消費されないように。
炎のアイコンを見るときは、その向こう側に、今も続いている生活があることを忘れてはならない。

情報を疑い、想像し、考える。
その姿勢こそが、この記録を通じて、私が最も伝えたかったことだ。




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