ひょんな事から下津井の郷土史料を入手して、遊女の事を調べるようになった。
多くの遊女は若い内だけ歴史の表舞台に顔を出して、そして人知れず消えていく。
一部の遊女は神社に寄進して玉垣に名前を刻んであるけれど、それでもさえも源氏名です。
歴史に名前を残さずに消えていく彼女たちと、歴史に名を残せず(笑)に消えていく自分を重ねているのかも知れない。
祇園神社を降りた辺りの海岸は遊女の自殺が多かった場所らしい。
彼女たちがそこを選んだ理由は、潮の流れが強くて”死体が上がらない事“だったのだとか。
草履だけを揃えておいて、誰かが死んだらしいという事だけ残して去っていくそうです。
遊女が自らの意思で自らを自由にする方法は逃亡か、死か。
その中で確率が高いのは、”死”の方だったと。
そんな状況を憂いた誰かが、身を投げた遊女の為に地蔵を作ったと言われています。
残念ながら確定は出来なかったけれど、台場跡に2つの地蔵が並んでいたのが、もしかするとそうなのかも知れない。
自らの本名を伏せて、源氏名で死んでいった女性たちの供養だとすれば、誰のものとも名前の記されていない地蔵は、妙にふさわしいような気がした。