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【建部】蔵に隠された「禁教」の祈り|福渡・日船上人の墓と不受不施派の執念

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弾圧を越えた静寂|建部町福渡・日船上人の墓

岡山市の建部町福渡を散策していると、住宅地の中にひときわ立派な墓があるのが見えました。
田舎に特有の家のそばにある墓地か…と思ったら、以下の案内看板がありました。

 


看板には日船上人の墓とあります。
日船は江戸時代初期の僧侶で、日蓮宗不受布施派に属していました。
不受布施派は法華経を信仰しない者からは布施を受けない(不受)、信者以外には法を説かない(不施)…という考えを貫き通している宗派です。
元々は日蓮宗がこの考えを持っていましたが、 豊臣秀吉の「方広寺大仏千僧供養」への参加を求められた際に意見が割れてしまいます。

まず一つは時の権力者である豊臣秀吉にNOを返すのはよくないという考えです。
そしてもう一つが、自分たちの信念を貫き通し信仰の違いを主張して不参加とすべきだという意見です。

この時の後者の考えが日蓮宗不受布施派です。
考え方としては昔気質なまじめな人達…という見方も出来るかもしれませんが、権力者の立場からすると反権力の集団に見えたのです。
実際、歴史上で宗教団体が一揆をおこした事例は幾つもあります。
その為、日蓮宗不受布施派は江戸時代に禁教となります。

日船上人はその時代の僧侶で、人々が不受布施派への信心を隠しながら信心を続ける「内信」として生き残る基礎作りを行いました。
不受布施派の禁教が解かれるのは明治時代に入ってからの事になりますが、その間も信心が続いたことへの功績は非常に大きなものと云えるでしょう。


非常に立派な墓所です。
晩年は福渡の辺りで布教を行っていたようですが、弾圧が徐々に強まる中で力尽きるように無くなったそうです。
その遺体の処置にも幕府に気を使う必要があったのか、福渡の庄屋である江田家の蔵で隠れながら時間をかけて荼毘に付したと言われています。
埋葬されたのもその家の一角だったとのこと。

こうして立派な墓で弔うようになったのは、恐らく明治以降の事だったのでしょう。

余談ですが、建部の八幡温泉郷を発見したのも日船だったと言われています。
鷺が川辺で湯を浴びている様子を見て、温泉の存在に気付いたのだとか。




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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。

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