昭和32年の岡山県の強度情報誌を見ていると、「浩養軒」というお店の広告がありました。
この名前は憶えがあります。
岡山県で開業した西洋料理店の最古のものの一つです。
天瀬にあったお店ですが、今回の広告はそのあとの時代のものです。
広告にもありますが岡山後楽園で営業していました。明治43年から岡山後楽園にお店を出しています。
現在でもいくつかの飲食店が後楽園内で営業していますが、それらの大先輩ですね。
現在のお店はどちらかというとオシャレな方向性に振られていますが、結婚式や商談…とあるので、かなりかしこまったお店だったことが分かります。
結論を先に出すと「浩養軒」は既に廃業しています。
当初、お店があったのは沢の池のすぐ北側、現在の福田茶屋がある辺りだったそうです。
後にイベントなどで用いられることが多い西外園に移ります。残夢軒の建物のすぐ南側の辺りですね。
市街地周辺を襲った岡山空襲も経験していますが、後楽園周辺は余り被害が大きくなく、浩養軒も無事だったそうです。
しかし昭和44年に火災が発生し、西外園のお店は失われしまいます。
ここで再建されることになりますが、その場所が岡山県立博物館でした。後楽園の入り口のところにあるあの建物ですね。
博物館の建物の中に飲食スペースを設けることになり、そのテナントとして同社が選ばれたのです。
この評価はいろいろとあると思います。場所的には従来と変わらない好立地ですが、建物としては近代的なもので味があるとはいいがたいです。
博物館の中にあるということで、私ならちょっと興が覚めるというか、あまり騒いではよくないのかなと思ってしまいそうです。結婚式など宴会場のような用途でも用いられるお店としては致命的だと思うのですが…。
何が原因だったのかは分かりませんが、昭和46年に博物館に移った後の浩養軒の経営状況は芳しくなく、昭和58年に廃業してしまいます。
同年に出された岡山県立博物館の「岡山県立博物館だより」で同社の廃業について少しだけ触れられています。
引用します。

(引用:「岡山県立博物館だより」1988年3月31日 22号より)
お店の跡地の活用方法についての文章ですが、同社が昭和57年途中でお店を閉めていたことが分かります。
そして跡地には飲食店を入れずに収蔵庫とする事から、博物館と飲食店の同居の相性が余り良くなかったのではないかとも推測できます。
まぁ、ちょっと目的が乖離しすぎている感は否めません。
私は博物館や美術館が好きなので、展示物を見た余韻を楽しみながらコーヒーなどをいただくのは好きで、喫茶店などが同居しているとよく利用します。
しかしガッツリ食べる飲食店はちょっと違うかな?と思います。
では場所について考えてみましょう。
再び岡山県立博物館より引用します。
(引用:岡山県立博物館公式サイト フロアマップ)
まず考えたのが二階の右側の部屋です。
一般向けに公開されていないので、マップ上でも白紙になっています。
岡山後楽園にある飲食店ということである程度の眺望も必要だったでしょうから、二階からある程度は園内が見えるという場所はありそうです。
ただ博物館の中を通っていかないといけないという点を考えると、一階の同じスペースだった可能性も十分にありそうです。
位置に関する情報は博物館内ということ以上は得られなかったので、ここまで推測になります。
また確たる情報があれば、追記していこうと思います。

