【岡山市】最上稲荷、幻の教団歌とは…!?

1962年の岡山の郷土情報誌を読んでいると、岡山市の最上稲荷についての記事が掲載されていました。

それによると、最上稲荷が教団創立10周年の記念に教団歌を作ろうとしているとあります。
作詞家は演歌の作詞で知られる十二村 哲さんに決まったそうです。
私が読んだ本では岡山市出身の方とありましたが、wikipediaで調べてみると北海道出身とあります。

しかし岡山城を歌にした「岡山城の唄」の作詞も手掛けており、岡山と無縁の人とは思えません。
北海道から岡山に移住したとか、出身と呼んでも差し支えないようなつながりがあったのかもしれません。

ところで人によっては「最上稲荷って1952年創立なの? 歴史ないじゃん…?」と思うかもしれません。
これは勘違いで、最上稲荷は桓武天皇の病気平癒を叶えた事から寺院の設立が決まったとあり、神社の公式サイトでは1200年以上の歴史があるとしています。

ここでいう10年というのは、最上稲荷が日蓮宗から離れて独立の最上稲荷教を立ち上げたことに由来します。(※現在は日蓮宗に復帰)


最上稲荷の本殿の裏にこのようなオブジェがあるのを見たことがある人もおられるでしょう。
これが最上稲荷教立教50周年記念として作られたもので、現在でも見られる独立時代の名残です。

ただし独立の時期は昭和29年7月24日であり、西暦では1954年です。
なので記事の本来の趣旨としては1954年の10周年に向けて制作が決まったということだったのでしょう。

残念ながらこの教団歌が現在でも使用されているのか、はたまたどのような楽曲なのかを確かめることは出来ませんでした。
そもそも最上稲荷の公式サイト内で最上稲荷教時代のことには触れられていません。日蓮宗に戻っている以上、あまり触れるべきではないと考えられているのかもしれません。
だとすると教団歌も封印された可能性がありますが、歌詞の内容が独立した教団であることを強調してなければワンチャンあるかも?とも思いましたが…。

少なくともネット検索ではその存在すらほとんど知ることができないような幻の一曲になっているようです。




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