岡山市の岡山寺にお参りしてきました。
背景にビルが立ち並ぶ中央市街地のお寺です。
開発目覚ましい岡山市街地なので、20年も経てば本堂と空の写真を一緒に撮る事は出来なくなるかも知れません。
開基は報恩大師です。
岡山県内の寺院を巡った人なら良く目にする名前だと思いますが、奈良時代の僧侶で備前地域で四十八の寺を開きました。
それらを総称して「備前四十八ヶ寺」と呼びます。
この岡山寺はその2番目にあたり、749年の創建です。当初の所在地は岡山場近くの石山公園付近だったとされます。
宇喜多家による城の整備の際に移転し、1601年には小早川秀秋の手により現在地に移転しました。中央市街地の中に、これだけ立派な本堂と会館、そして十分な駐車場まで構える事に驚く人もおられますが、この場所に移った時点では中心部から少し離れた地点という位置だったのでしょう。
境内にはいかにも歴史のありそうな五輪塔があります。
1945年に市街地周辺を襲った「岡山空襲」の際に主だった建物などは失われており、昔から引き継がれるものは本尊の 十一面千手観世音菩薩などごくわずかな物のみです。
しかしこの五輪塔は安土桃山時代の建造とされています。
元々は隣にある光珍寺に置かれていたもので、宇喜多直家の供養の為に作られたものとされています。
先に触れた岡山空襲の後にスペース上の都合で岡山寺に移されたそうです。二つの寺院は元々は一つだったものが分かれて現在に至っており、現在でも関係が深いのでしょうね。
こちらが駐車場と会館です。
すげぇ笑 先にも触れた通り、中心部から移動して、現在地になって、岡山駅が完成して市街地の中心部が駅側に移転したので、岡山寺が先で、市街地の発展が後です。そうでなければこれだけの敷地は確保できなかったでしょう。
左奥に見えるのがNTTクレドビル。岡山空襲の際に攻撃の中心地となったのがあの場所です。
そう考えると岡山寺の本尊や当時は光珍寺にあった五輪塔が残ったのは奇跡的ですね。
信仰の力を感じられるエピソードでした。
岡山空襲については下記、「岡山空襲を学ぶ」のコンテンツからどうぞ。