【岡山市】瑞雲寺と小早川秀秋の墓と、その評価に思う事など

私のバイクの色々な事を見て頂いている岡山市北区広瀬町のバイクの森で自賠責保険の支払いをしてきました。
愛車のGSR250は車検の無いカテゴリーなので、自賠責保険のみの支払いをする必要があります。保険会社から更新期限の連絡のハガキが入って来るので、それを持ってバイクの森に行くとまた何年か分の支払いをまとめてして終わりです。

普段はオイル交換などを兼ねていますが、今年はタイヤとチェーンの交換の予定があったので支払いだけで短く終わりました。
という事で周辺を散策してみました。

色々と面白い建造物はありますが、今回は瑞雲寺を紹介します。


広瀬町から徒歩少し、住宅地の中にひときわ立派な門が見えてくると、それが瑞雲寺です。
岡山藩の藩主を務めた小早川秀秋が死亡した際に、その菩提寺となりました。山号の黄門山はその官位に、そして瑞雲寺の名称は法名(日蓮宗の戒名の事)である瑞雲院秀巌日詮に由来します。

所在地の北区番町は市街地を襲った大規模な空襲、「岡山大空襲」の被害をギリギリ逃れた地区です。
その為、市街地では意外と少ない江戸時代からの古い建造物が綺麗な状態で残されています。
尚、2019年に古い建物の中で客殿と庫裡が老朽化の為に取り壊されています。ネット上の古い記事ではそれらも紹介されている事も多いので、それらを目当てに行こうか迷っている人はお気をつけて。


こちらは当時物の建物が残る本堂です。
瑞雲寺は寺自体も立派な古刹ですが、前述の小早川秀秋の墓所としても有名です。
この本堂の場所にもそうである事を記した石柱がありますが、実は境内を見回しても墓を見つける事は出来ません。

小早川秀秋の墓は本堂の中にあり、一般公開はされていません。


このように窓ガラスなどから覗き見る事も出来ません。
実はご住職がおられれば本堂の中を見せて貰える事はありますが、墓は更に戸の向こうにあるようで、やはり見る事は叶いません。
ファンの方はここでお参りしましょう。

瓦にお多福。
元はもっと豪勢な瓦が用いられていたそうですが、1995年の吹き替えの際にそれらは失われたようです。

ところで瑞雲寺の山門の前に看板が建てられており、瑞雲寺の解説が書かれています。
その中で関ヶ原合戦の際に小早川秀秋が行った裏切り行為に関して、「最初から東軍であり、裏切りではない」という文章が含まれます。

これは意味深な表現だなと思いました。
これをどう読むのか?については意見が分かれそうです。とりあえず下記に二つの解釈を紹介します。

まず一つ目は奇襲攻撃を仕掛ける為に西軍側にいるように見せただけで、最初から東軍についていた…という物です。
やや屁理屈っぽくなりますが、西軍を裏切ったわけではない、元から敵だった…という解釈です。
そしてもう一つは裏切り行為自体がフィクションで、現実にはそのような事は起きていないという解釈です。

昨今、宇喜多家の謀略による急成長や、小早川秀秋の裏切り行為をいいように捉えなおそうとするような動きがあるようです。
ただ…個人的には、そういう時代だったんだから別に良いじゃないかと思います。人を多く殺害する事で評価された時代ですし、そうしないと逆にやられるような世相だったわけです。そんな時代に正面から人を殺めたら正義で、策略で殺めたら不義だというのは、なんとなく滑稽な気がします。
いいじゃないですか、裏切りでも謀略でも。




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