瀬戸内市牛窓町の中心部から少し離れた住宅地へと続く道を歩いているとこのような蔵と参道が見られます。
この階段を上った先が素戔嗚男神社です。
結構な傾斜です。
なまこ壁デザインの蔵の建物があるのも特徴的ですね。
ここまでの説明だけで終わらせると、なんか小さな神社でもあるんでしょ?と思われそうですが、ここが瀬戸内市の伝統芸能として人気の唐子踊りで知られる疫神社です。
正式名称は素戔嗚男神社です。
岡山県神社庁の解説ページを読む限り、疫神社というのは旧称という扱いになるようです。
牛窓で疫病が流行った際に牛窓神社の境内に牛頭天王の祠を祀って疫病が収まるように祈ったそうです。その経緯から疫神社の名前が生じたのでしょう。
現在地に移転した後の明治2年に素戔嗚男神社に改称しました。牛頭天王は素戔嗚と習合なので、神仏分離を明確に打ち出したのかもしれません。
拝殿。
伝統芸能の踊りがあるくらいなので広い敷地かと思いきや、境内は余り広くありません。
ここに踊り手の子供たち、見守る大人たち、そしてシャッターチャンスを狙うカメラマンたちがひしめきます。
私は残念ながら見に行った事はありませんが、写真を撮るのはかなり大変だと聞きます。
こちらが本殿です。
境内の広さと同様に、広く名の知れた神社としては社殿の大きさは控えめの印象です。
しかしきちんとした幣殿もありますし、建物も良く管理が行き届いた綺麗な状態です。
ところで牛窓は神功皇后の伝説が多く残る地です。
牛窓の地名も神功皇后の伝説に由来するという説があります。
唐子踊りは朝鮮通信使の時代に伝わってきたものとする説が有力ですが、異説として神功皇后が朝鮮から連れてきた子供たちをここで舞わせており、それが唐子踊りの起源となったというものもあります。
関連リンク:牛窓の地名の由来