【岡山市】金川の大火を振り返る:被害はなぜ広がったのか

岡山市御津町の中心部である金川地区。
明治時代に二度の大火が発生しており、金川の大火として御津町史に記録があります。

今回はその火事について調べてみます。

被害エリア

まず二度の大火ですが、最初は七曲神社周辺で発生した明治18年の火災です。
こちらは町史にも情報は乏しく、私が持っている他の資料でも詳細は見当たりません。神社の狛犬が被害に遭っており、被害の大きさと言うよりは当時の人々の精神的なショックの大きさで後世に伝わっているのかもしれませんね。

主に金川の大火として知られるのは明治43年に発生した火事の方です。
被害の様子を現在の地図で表してみました。


Googleマップの現在の御津町金川地区の写真をお借りしてきました。
赤丸で囲んだのが被害に遭ったエリアです。

御津高校(当時は金川中学校)の南側にある住宅地と、県道を挟んだ住宅地の津山線の線路までの間にある住宅が火災に遭いました。
現在は御津高校のグラウンドになっている川沿いのエリアも当時は住宅があったようです。

火災の内容

火災が発生したのは3月10日の午前11時です。
宇甘川沿いの住宅で火事が発生します。この日は強風で、火が煽られて一気に燃え広がりました。

火の勢いが強かったようで、被害に遭った建物の大半が全焼です。全焼が61戸で、半焼が4戸、取り潰しが3戸となっています。
これだけの被害が出たのだから、よほど長く延焼し続けたのであろうと思っていたら、鎮火は14時で3~4時間で一気に燃えたようです。

被害が広がった一因として、消火活動に使う水の問題があります。


これが宇甘川です。
奥に見える石垣(イラストがある塀の下まで)の上からが住宅地のある高さなので、川との高低差がかなりあります。
増水時の安全面ではこの高低差は非常に重要なのですが、消火活動に際してはマイナスに働いてしまいました。

当時の消火に用いたのが手押しポンプだった為、水を住宅地の方まで上げるだけでも一苦労で消火どころではなかったのです。
その為、家々が燃え尽きて火災が収まるのを待つしかない状態で、大きな被害が出てしまいました。

尚、この火災には国内以外から多くの寄付が寄せられ金川地区の復興が進められました。




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