1963年の雑誌に刻まれた岡山県への提言―工業県への転換は正解か?

私が以前から万歩書店で買い集めていた資料に「おかやま同郷」という冊子があります。
県主導で発行されていた冊子のようですが、タイトルからも分かる通り岡山県出身者に向けて発行されていました。
特に岡山を離れた人に、郷土の情報を届ける…という事に重点が置かれていたようです。

その冊子の1963年に出版された号の中に、書き込みがありました。
とても興味深い内容だったので、この声が埋もれないようにブログに残しておくことにしました。


農業県岡山を捨て、工業県に脱皮しようとする三木県政は百年後に悔を残すものと云はん。」とあります。当時の岡山県は水島の開発に力を入れ、農業県から工業県への転換を図っていた時期です。
水島の繁栄の基礎が築かれていた時期です。
三木行治は水島の開発に力を入れた人物。企業誘致を熱心に進めたことから誘致キングの異名で呼ばれることもありました。 県知事のまま、1964年に急逝しました。
人物に関する詳細はサイトの方でも紹介しているので、そちらも参照してください。

脱皮という言葉を用いているので単に工業県への転換を批判するというよりは、「工業化する政策は、短期的な発展はあっても長期的には県にとって損になる」という感じの意味合いでしょうか。
短期的という意味であればこの書き込みの通り、岡山は発展を遂げて豊かになりました。
その半面で全国一位を争えるシェアを有していた桃は他県にトップを譲り、い草のように産地としては果ててしまったものもあります。

これらを捨ててまで得るべき繁栄だったのか。この書き込みはそれを問うているようです。
今、
60年以上が過ぎました。40年後どのような結果が出るのか。みんなで2063年に答え合わせをしましょう。長生きしようね笑




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