玉野市民でも東野崎という地名を知らないという人は多いのではないでしょうか?
東野崎は倉敷市児島地域の塩田王の異名で知られる野﨑家が開発した塩田が広がっていた地区です。
地名は野﨑家の塩田の野﨑浜に由来し、東にある野﨑浜で東野崎です。民家はなく、神社と駐車場、そして2016年からはメガソーラーが設置されています。

そんな東野崎を流れる汐入川に開閉橋の遺構があります。

こちらです。一見すると壊れた橋の残骸のように見えますが、中央部が欠けているのは橋の可動部だった為です。
開閉橋は可動橋とも呼ばれ、船の通行の為に橋の上部が動くようになっています。
玉野市には桜橋という現役の開閉橋が残されており、船が通る際は橋が跳ね上げられるようになっています。

こちらの開閉橋の仕組みは簡単で、船が通る際に竿を用いて天辺の可動部を横にはねるというものでした。
小さな橋なのでそれだけで動かせたのですね。

川が運河として用いられていた頃の名残です。
現地の案内板には他に3か所の開閉橋があったそうです。
前述の桜橋のように現役の物もありますし、かつての玉野市の海辺は開閉橋があちこちにあったのかもしれませんね。

尚、御覧の通り橋の底面は失われており橋を渡る事は出来ません。お気を付けください。




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