以前に倉敷市尾原を訪問した際の写真を何枚か紹介させて頂きました。
以前、尾原の北側にある慈眼院周辺を訪れましたが、今回は南側の葛原地区を探索しました。尾原は広大な面積を持ちますが、その大部分は山と採石場で占められています。しかし人々が暮らす集落も点在しており、葛原地区はその一つです。ということで、今回は葛原地区に行ってきました。
県道62号を走行し、由加山を下った辺りにある交差点から南に進むと葛原地区に到着します。集落としては一見すると人口が少ないように見えますが、公民館の存在が過去のにぎわいを物語っています。
民家は散在する程度ですが、途中にビニールシート製造工場があり、従業員らしき車の往来が見られました。
訪問時はお昼時だった為か意外と人の気配がありましたが、帰り道では静寂が戻っていました。
集落の中心部では、空き家は予想外に少なく、多くの家に人が住んでいる様子でした。畑は小規模ながらきちんと管理されており、耕作放棄地は見られません。写真の一角だけを見るとさながら限界集落と言った風景ですが、新しい住宅が立ち並ぶ一角もあり、確かな生活の息吹が感じられます。
集落は山裾にあり、徒歩圏内に商店はありませんが、車があれば倉敷市林の商業地域や水島ICにもアクセスしやすい立地です。この利便性が人々を引き留め、集落の存続に寄与しているのかもしれません。
この建物が前述の葛原公民館です。
普段は人が配置されていない無人の公民館のようです。
この公民館の駐車場部分に「葛原の水車跡」という標柱があるのですが、それについて確認をしたかったのですが残念。
過去にもブログ内で別のスポットを紹介したことがある筈ですが、郷内歴史保存会が設置したものです。
遺構が残っていない場所にも設置されていて貴重な資料になりますが、その場に遺構があるのかどうかの判断がつきません。公民館の人がいれば教えて欲しかったのですが、残念です。
現地を見た限りでは恐らく過去に水車があった場所であり、遺構は残されていないのではないかと思います。
続いては今回の目的地へ進んで行きます。
尾原から児島上之町へ向かう途中にふれあいの森がありますが、その道の分岐地点をさらに南に進むと二軒ばかり民家があります。
地区の民家が立ち並ぶ辺りから随分と離れた場所に位置するので、何かしらの産業をしているのかと興味を惹かれていたのです。
集落から離れた場所には、二軒ほどの民家がありますが、道路の状態から判断すると、長期間人の往来がないようです。
Googleマップでは2023年時点では僅かに車の轍が確認できますが、2024年の訪問時点でそれは残されていません。道の状態を考えると丸っと一年は自動車が通っていないのではないかと思います。もしかしてGoogleマップの車がつけた轍なのかもしれませんね。
徒歩でも定期的に行き来があればもう少し枯れ葉がよけられている筈です。
ちなみに結論から言うと途中で倒木があり、車はこの先を通れません。
地図サイトでで見る限り、中間地点に建物は無い事になっていますが、山の奥に上がれる傾斜があったり、木の奥に建物があったりと、恐らく過去にはこの辺りにも人が住んでいたのではないかと思わせる痕跡が見られます。
大げさな言い方をすれば廃集落という事になるのかもしれません。
ただ確認しに行こうにも森の管理は行われていないようで、竹が生い茂っていて立ち入っていくのは難しい状態です。無理に通ろうとすると藪漕ぎどころか、森林伐採になってしまいます。
道路の状態でお察しなので期待はしていませんでしたが、地図上で見えていた民家も無人です。
ただしそれほど長期にわたって放置されているという感じでは無く、人が離れてせいぜいが十年そこらではないかと思います。
もう一軒もこんな感じです。
こちらは雑草が轍になっており、他にも人がいるのではないかと思うところがあり、近づいて声をかけてみましたが、完全に空振りでした。山奥で独り言になってしまいました。
倉敷市の環境政策課によると、この民家の辺りから「尾原の自然歩道」と呼ばれる道が続いていて、ふれあいの森に接続するようになっているそうです。
そちらの道は時期的な事もあってか、完全に草木に埋もれていました。草木の茂り方の違いで恐らくここが道だったのだろうという事は予想できますが、いくら倉敷市とは言え山の中です。道に迷ってしまうと携帯電話の電波もほとんど入らないようなか所も少なくありません。そのルートを試してみる事はお勧めしません。
葛原集落の散策を通じて、限界集落が直面する課題と、そこに残る人々の暮らしを垣間見ることができました。この地域の今後の展開に注目していきたいと思います。