【岡山市】河本町で見かけたお堂と新四国八十八か所砂溜所


岡山市東区河本町のディオで買い物をしたついでに、周辺を散策してきました。
基本的には住宅地が広がるばかりですが、その中に小さな庵のような建物がありました。

こちらです。
元々はもう少し大きな寺院があったのかもしれません。
対になっている石柱が立派ですし、天然石を掘った手水もあります。
無住になって地元の人が管理するようになり、建物も小さなものに建て替えられたとか、そのような流れではないかと思います。水は張られていません。
雨水が溜まってもいませんが、この撮影の頃は雨の少ない夏だったので単に枯れ果てていた可能性もあります。

お堂の中はこんな感じです。
お花は造花ですが埃が溜まっている風もなく、綺麗に管理されているようです。
香炉も綺麗ですが、これは逆にお参りされていない可能性もありますが…。

蓮の錫杖を持った佇まいがなかなかの雰囲気です。
敷地内にはこのようなものもあります。

新四国八十八か所霊場砂溜所。
これは四国八十八か所の霊場の砂を移した場所です。足が悪かったり時間が無かったりと様々な事情で四国八十八か所に行く事が出来ない人が、追体験的に実際の霊場をお参りした事に出来るというスポットです。
新四国八十八か所はそうした八十八か所を再現したスポットの事です。現在はミニ四国八十八か所と呼ばれる事の方が多いです。

もしや周辺に同様の砂溜所が八十八か所整備されているのか?と思いましたが、ザっと散策した限りではそれらしいものは見当たりませんでした。

整備されたのが昭和56年、1981年です。
その頃はお参りの方で賑わっていたのでしょうか。日本人の信心の変化が伺えるようで興味深いです。

お堂の裏側には立派な五輪塔があります。
供養塔、墓塔などとして建てられるものです。この場所にある謂れは分かりません。ただ四国八十八か所の砂溜所があるので、このお堂が真言宗である可能性は高く、真言宗の寺院なら五輪塔は決して珍しい物ではありません。

ただ昔からこの規模の庵のような建物であればやや過剰かな?とも思います。
やはり遡ると住持のいる規模のお寺だったのではないでしょうか。1981年の砂溜まり場が整備されているので、それ以前に無住化して建物を縮小したと見るのが正しいような気がします。1970年代の地図が見られれば分かりそうですが、なかなか機会が難しいですね。追々そのような機会があれば調べてみようと思います。

今回はこの辺で。

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