加茂町から数キロの地獄 —— 津山事件を「田舎の怪談」として消費するな
1. 八つ墓村の影を外す
津山事件は、しばしば「人里離れた秘境で起きた異様な惨劇」として語られる。横溝正史『八つ墓村』のイメージと重ね合わされ、地図にも載らない山奥の“因習の村”で起きた出来事のように消費されてきた。
そこには津山事件をストーリーに取り入れた「八つ墓村」のイメージがかぶせられているのだろう。小説では八つ墓村の位置について「伯備線のN駅から更に鳥取との県境へ向かう辺り」としている。これはかなり奥まった山間部を彷彿とさせる表現である。
しかし、事件現場の貝尾集落は、当時の加茂町中心部から数キロしか離れていない。徒歩で行き来でき、日用品や情報は町から日常的に流れ込んでいた場所だ。
都井睦雄もまた、時代から切り離された存在ではない。雑誌に目を通し、町の情報に日常的に触れる、当時としては特別ではない青年だった。
この記事の目的は、津山事件を怪談の霧から引き戻すことにある。そこにあったのは秘境の呪いではなく、町と地続きの場所で生まれた、逃げ場のない絶望だった。
※本記事は、津山事件を娯楽的・怪談的に消費する風潮に疑問を投げかけることを目的としています。
特定の人物や行為を正当化・擁護する意図はありません。
被害者の尊厳に配慮しつつ、事件の語られ方そのものを検討します。
隔絶ではなく「近さ」が生んだ地獄
貝尾が本当に過酷だった理由は、隔離されていたからではない。むしろ逆だ。町に近かったからこそ、噂や評価、価値観が遮断されることなく流れ込んだ。
閉ざされた秘境であれば、個人の失敗や恥辱は内部で完結する。しかし町に近い集落では、一度貼られた評価は容易に拡散し、訂正もされない。情報は外へ漏れ、外からも戻ってくる。その循環から逃げる術がなかった。
そこへ流れ込んだのが、当時の「近代的な価値観」だった。とりわけ、国家や社会が男性に課した役割意識は、個人の存在価値を単純な尺度で測る傾向を強めていた。そうした空気のなかで、徴兵検査において丙種合格と判定された時期以降、彼は周囲との関係をさらに硬化させ、孤立を深めていったとみることができる。
町の空気を吸いながら、村の人間関係からは逃れられない。半端に開かれた環境は、彼にとって救いではなく、常時監視され続ける場所として機能してしまった。
狂気ではなく、破壊を目的とした行動
津山事件は秀才の突発的な錯乱として語られることが多い。だが、短時間で多数を殺害した行動には、準備と計算の痕跡が見える。
それは感情の爆発というより、「村」という共同体そのものを破壊することを目的とした行動だったと読むこともできる。特定の個人への復讐ではなく、彼を取り巻き、評価し、逃げ場を塞いできた環境全体が標的になった。
ただし、ここで線を引かなければならない。差別や排除が存在したことと、三十人を超える無差別殺害は、決して同列にはならない。背景を理解することと、行為を正当化することは別だ。
被害者意識だけを強調する語りは、結果として暴力に意味や物語性を与えてしまう。近年、インターネット上では、過去の大量殺害事件を「理解可能な悲劇」や「社会に追い詰められた末の行為」として語り直す言説が散見されるが、その延長線上にあるのがこの視点だ。その危うさから、目を背けてはならない。
地獄は特別な場所にだけ存在しない
貝尾集落は、今も地図に残る、ごく普通の場所だ。特別な秘境でも、異界でもない。
適度に社会とつながり、適度に監視し合う共同体。その構造は、現代のSNSや小さなコミュニティとも重なる。
津山事件が示すのは、地獄が隔絶の果てにあるのではなく、日常と地続きの場所に生まれうるという事実だ。
加茂町から地獄まで数キロ。そしてその距離は、今あなたが立っている場所からも、決して遠くはない。
その距離を見誤った語りが続く限り、この事件は過去のものにはならない。


