新見市金谷を散策していると立派な鳥居がありました。
どうやら天満神社への参道のようです。
これは階段の途中ですが、けっこう長い階段です。
お陰で新見市の市街地を一望できました。
これは良い見晴らしです。
写真の中央辺りにあるのが新見市新見文化交流館。まなび広場にいみという呼称もありますが、こちらは愛称でしょうか。
大型のホールを備えているそうで、SNSでフォローしている人によると山陰の方のコンサートなどの需要も担っているそうです。
新見市の先見性のある施設と言えそうです。
拝殿です。
岡山県神社庁の公式サイトにはかなり新しい状態の写真が掲載されています。
現地の案内板によると平成11年(西暦1999年)に本殿、幣殿、拝殿と新調したようです。
岡山県神社庁の写真はその間無しの頃だったのでしょう。
20年でここまで深みのある色になる事も驚きです。
看板に由緒も書いてあるので簡単に説明します。
かつて金谷村の山根という人が豊臣秀吉の朝鮮征伐(文禄・慶長の役)に参加しました。
出発の際に大宰府に参り、無事に戻れたお礼参りで帰りの際にもお参りをしました。
この時に分霊をしてもらい、自宅の裏山に祀ったのがこの天満神社です。
名前が地名の金谷ではなく金山になっているのは、金谷と山根から一字ずつ採った為です。
これが幣殿と本殿です。
日当たりの関係でしょうか、横から見た感じは正面より新しく、まだ新しい建物である事がよく判ります。
手水。
個人的には手水は必ず確認しているようにしています。
水道があって水が綺麗に保たれている所は頻繁なお参りがある事が分かります。
尚、その逆は必ずしも人が来ない、管理されていないというわけではありません。
山腹の神社などは立地的に水道が来ていない等の事情もあります。
そしてまるで千本鳥居のような稲荷大神。
鳥居の数は信仰の厚さの証明です。
金山天満神社が地元の方から篤い信仰を集めているのがよく判ります。
という事で金山天満神社でした。
新見市役所から徒歩で充分に来られるくらいの距離なので、市街地の辺りを訪れて余力がある人はぜひお参りしてみてください。