探しものがあって岡山市と倉敷市の間を散策していると、藪の向こうに橋が見えてきました。
ちなみにこの道。
自動車の轍が有るので何処かにつながるのかと思って歩いていたのですが、単に農家の方が田圃に行くために使っているだけのようです。
進んでいくとこのような感じで橋の全貌が見えました。
ちょっと角度的に見づらいので、別の角度から撮った写真を紹介しましょう。
植松川橋梁です。
橋の名前は植松川ですが、地図で確認すると下を流れる川は郷内川です。
通称、古名などでしょうか。
この川の中間がちょうど岡山市南区と倉敷市の境目になっています。
向かって左側が倉敷市、右側が岡山市です。
先程の道に戻ります。
道はそのまま植松川橋梁の下を抜けていきます。
そこも轍が続いているので、自動車かトラクターが通れるのでしょう。
私の身長が175cmで上が狭いなと思いながら通り抜けました。
軽トラックの全高が176.5cm(スズキ・キャリイ)なので、車がはねないようにゆっくり通ればいけますね。
橋脚部分にはレンガがあります。
宇野線にはレンガの橋脚がよく残されていて、特に茶屋町付近…要するにこの辺は宝庫です。
年代については分かりませんがが、恐らくかなりの年代物でしょう。
橋の詳細の看板があるのかと思いきや、塗装をいつ行ったのかについての詳細でした。
恐らく錆止めなどの硬貨も含めての塗装なのでしょうから、こうして分かりやすく掲示する必要のある重要な情報なのでしょう。
しかし私が知りたいのは橋の建造年だ(笑)
橋の反対側に回れば有るのかもしれませんが、そちら側は畑に降りていかないと見えません。
時期的に作物がよく実っていた時期なので、良くない疑いをかけられても面倒なので今回は止めておきました。
反対側に見えるのは麻生岡山生コンクリート。麻生セメントの工場です。
総理大臣を務めた麻生太郎さんはこの麻生グループの創業家の家系の方です。
wikipediaによると炭鉱業から、現在のコンクリート中心にシフトさせたのは麻生太郎さんの業績なのだとか。
余談ですが新稔橋から見える灘崎コンクリート跡はこの麻生岡山生コンクリートが管理しています。