都井睦夫の親族へのインタビューとは?
サイトのコンテンツ、「津山事件を学ぶ」でも紹介した津山事件をモチーフにした動画「警視庁特別調査課 マーダーファイル 津山30人殺しを追え!」という2005年に発表されたDVDを紹介しています。
過去の未解決事件、怪奇事件などを取り上げ直す…という架空の警察の部署を舞台にした作品の第一作目…ですが、第二作目が発売されることはありませんでした。
この動画、正直なところ事件についての取り上げ方に関してはネット上で公開されている、例えば私のコンテンツのようなと大差ないのですが、都井睦夫の親族にインタビューをしているという点で取り上げられることが少なくありません。
今回はその動画の中でどのような内容が語られているのかを紹介します。
ちなみにここで登場する親族という老女は、長らく都井睦夫の墓守をしてきた女性です。事件当時は旧制小学校5年なので、10~11歳だったようです。なのでインタビューが発売と同年と仮定すると、77歳くらいの頃です。
ネット上にある過去に都井睦夫の墓をお参りした人の記録の中で、親族の老女との交流が記されているものがありますが、その女性がインタビューに回答しています。
親族が語った津山事件
ではその内容についてみていきましょう。
尚、そのままの転載はさすがに問題が生じるのと、岡山県民の私でも聞き取りが難しいくらい強い訛りがあるので私が要約した内容になります。ご了承ください。
1.お墓について
※インタビュアーの方はまずお墓が本物かどうか確認します。
というのも、倉見にある都井睦夫の墓はきちんとした墓石は用意せず、河原で拾った大きな丸い石を代用にしています。
これについては被害者の感情への配慮とされています。
女性の回答
墓は可哀そうだと思う。何かしてあげたらと思うが、睦夫(女性はむっつぁんと呼ぶ)のいとこは死んで、その息子(従甥)も岡山に出ている。私も高齢で何もできないし、何かしてあげる人がいない。何か小さな墓でもすれば、みんなが参ってくれるのではないか。
この回答にある通り、女性が亡くなった後に都井睦夫の墓は藪に飲まれて訪れる時期によっては墓石代わりの石を確認することも困難な状態に陥っています。
墓は睦夫のおばの家系が管理していたそうですが、既に津山を離れてしまっているそうです。
女性は事件への興味本位であれ、人々が墓を訪れ手を合わせることを好意的に受け止めておられる様子が様々な訪問記録から伺えます。今の現状は女性にとって残念、寂しく感じられている事でしょう。
2.都井睦夫、事件について
親族なので同情的なスタンスでいます。
被害者に近しい人や、事件に憤りを覚えていると反発を覚える人もいるかもしれません。
女性の回答
都井睦夫は利口な人だったそうだ。利口でなければあんなこと(事件)出来なかった。
事件については確かに知能犯としての一面が見られる箇所があります。
事前に電話による通報を避ける為に電話線を切断、更に実際に近くの交番まで通報に行って戻るまでの時間を計測して、その上で犯行時間を決めたと見られます。実際に最終的に自害する為に荒坂峠に辿り着くまでの間に警察に邪魔をされることなく進めています。
3.事件について
ここでは他の資料などで触れられていない驚きの事実が明らかにされています。
先の通り、女性は睦夫に同情的な立場をとっているので、被害者感情としては微妙に感じられるような発言が見られます。
女性の回答
結婚も決まっていたが、相手がやめてしまった。それで業を煮やして事件を起こした。
それで里帰りのタイミングで事件を決行した。
しかし娘を連れて津山にはきていなかった。自殺の直前に紙と鉛筆を貰って書いた遺書には、一番殺そうと思った者を殺せなくて残念だ…という内容があった。
これについて最初は寺井ゆり子の仮名で知られる女性の事を触れているのではないかと思いました。
結婚の約束までしていたというなら驚きですが、同じ集落で年齢も近い幼馴染で、夜這いによる関係もあったと見られています。睦夫の健康状態に問題がなければ、そのまま結婚に進むような間柄だったとしてもおかしくはありません。そして関係が壊れて、貝尾を離れているという点も共通しています。
ただその後にで「娘を連れてこっちには来てねぇからな」という言葉が続きます。寺井ゆり子は貝尾に里帰りしており、殺害こそされなかったものの実家と、逃げ込んだ先の住宅で2度も襲撃を受けています。
このインタビューの時点で高齢だったので記憶違いであったり、地元で事実に即さない伝聞が広まったままになっていたという可能性も考えられます。しかし、もしかすると他に睦夫と深い関係にあった元婚約者で、里帰りすると思ったらいなかった為に討ち漏らした…という第三の女性が存在していたのでしょうか。
4.事件時の様子について
事件が発生した時の倉見や関係者の様子です。
事件が起きた貝尾は混乱、悲しみが深すぎて様子が伝わりにくい部分があります。
当時の一歩引いた目線として貴重な資料と言えそうです。
女性の回答
殺されたのは憎まれていた相手ばかりだ。
倉見で悪く言う人はいない。学校で睦夫を見ていた校長らは、利口な子だからやっぱり凄い事をするなと呆れていた。
事件直後は睦夫が貝尾から逃走して、どこかにいると考えられていた。特に親戚のおじは睦夫の持つ山などを子供だからと言いくるめて安く買い取っていた為、その恨みで襲撃されるのではないかと3日ほど蔵の中に身を潜めていた。
倉見で悪く言う人はいない…という事ですが、睦夫が倉見で過ごしたのは就学前の幼少期のみです。
イメージとしては利発なかわいらしい男の子…くらいしかなかったのではないかと思います。
おじさんのエピソードはなかなか興味深いです。この話は他でも聞いたことがあるのですが、もしかすると発信源はこの女性かもしれませんね。
5.被害者について
ここについては4の回答にもある通り、ちょっと睦夫びいきすぎるきらいがあります。
まだ事件関係者で存命の方もおられた時期にこれだけの発言をしたのは、関係のない私でさえヒヤヒヤする思いになります。当時の貝尾の関係者も生き残っていないので、この発言の真否については分かりません。しかし仮に真実だとしてもよくこれだけの発言を…と。
「胸糞注意」という言葉を先に掲げておきます。
女性の回答
近所の人でも殺されたのはだいぶ(睦夫の事を)悪く言っている人ばかりだ
よく考えている利口な子だったから、悪く言っていない人は一つも殺されず、家も襲撃していない。
被害者は周りからすると悪口ばかり言うような評判の悪い人だった。だから村の人(貝尾の住民)全員が事件に関して怒っていたわけではない。
村八分にされていたわけではなく、集落でも評判のよくない一部の人から迫害を受けており、それを殺害した。
これについては事実と異なる部分もあります。
本人も死の直前にしたためた遺書の中で「うたいでもよいものをうった」とも触れています。例えば3件目に被害を受けた家では、恨みはないが恨みを持っている家(2件目の被害宅)から嫁を貰ったからという理不尽な理由で3人を殺害、1人に重傷を負わせています。ここで殺害されたうちの一人は、農業の手伝いに来ていた甥っこです。この事例だけを見ても逆恨みや、そこにいたから殺害したという理不尽な理由が含まれていることが分かります。
それと被害に遭ったのが悪口ばかりいう評判の悪い人だったから、貝尾で生き残った人が事件について悪く言わなかった…というのも、ちょっとトンデモ理論だなと思います。
ただこの回答に関しては、インタビュアーが引き出している部分も少なからずある事は付記しておきます。世間から稀代の殺人鬼として叩かれているとはいえ、女性にとっては親戚のお兄ちゃんです。それに対して同情的な、好意的な発言をされて嬉しくて口が滑ってしまった…という部分が感じられます。
6.肺病の真実
都井睦夫は実は肺病ではなかったという説は現在でも根強くささやかれ続けていますが、この女性もそれについて言及しています。
女性の回答
親は肺病で死んだが、睦夫は違う。
ただ両親が亡くなって貝尾に移ってきた為、周囲が親もそうなら子もそうだ…という感じで、嫌われるようになった。
(インタビュアーの「実際は肺病じゃなかった?」の問いに対して)「そう、息子(=睦夫)はな」
この回答については自分が肺病だったとして悲観し、事件にまで至ったという経緯とは矛盾します。
遺書にも肺病について触れられているわけですが、女性の意見を採用すると肺結核ではないのにそうだと言いふらされ、村で浮いた存在になってしまい、その恨みで殺害をしたという事になります。
肺病の症状については詐病とまではいわないものの、実際よりも重症だと本人が思い込んでいたのではないかと思われる部分が指摘されています。
もしも周囲の親族が実際のところを知っていたのであれば、睦夫は本人がいうほど重症ではなかったという事実があったのかもしれません。
という事でインタビューの内容は以上です。
同じ岡山県民とはいえ、岡山の南端に住む私と、北部の倉見周辺では言葉がだいぶ異なります。聞きなれない岡山訛りや、一部で音声自体が聞き取りづらい部分もあるので、もしかすると意訳が異なる可能性もあります。
実際のところを確認したいという人は、DVDを手にしてもらうのが一番いいと思います。
