少し前の話題になりますが、岡山市南区小串地区を散策してきました。
小串は南区の児島湾沿いに位置し、東区正儀と共に児島湾の入り口を形成しています。地名もこの地形に由来し、湾に入る入り口が狭まっている事から小口、転じて小串の地名となりました。
(関連リンク:小串の地名の由来)
かつては船が行き来する漁港として賑わいましたが、現在は人口が減少し、それにつれて漁業従事者も減少して地区の活気は失われつつあります。
私が訪問したのも鄙びた港町の雰囲気に惹かれての事でした。
そんな街並みの一角、石段を上った小高い場所に鳥居が見えました。
神社があるようです。
ここに来るまで、ほとんど人とすれ違うことがなかったため、何も考えずに進んでいたところ、しゃがみ込んで草を抜いている女性がいました。
予想外の人の存在に驚いて、思わず「わっ」と声を上げてしまいましたが、不思議なもので、それがきっかけとなり、その女性といろいろなお話をすることができました。
この神社は「思稲荷大明神」といいます。
小さな社殿がひとつだけある、こぢんまりとした神社ですが、作りは意外としっかりしています。
神社創建のきっかけは、小串に住む人が伏見稲荷に参拝し、分霊を受けたことにあります。
具体的な時代についての詳細は伺えませんでしたが、それほど昔のことではないようです。
現代の日本人の宗教観では少し理解しづらいかもしれませんが、昔は地域に守り神となるような神社を建立することが一般的だったようです。
例えば、防波堤や擁壁、護岸工事などと同じように、地域の安全や発展を願い、神様をお迎えすることが重要な位置づけだったのです。
このような経緯で作られた神社のため、神職が常駐することはなく、長年にわたり地元の人々によって守られてきたそうです。
外から見るとコンクリートの建物はしっかりして見えますが、中を見てみると雨漏りをしていてかなり傷みが進行しています。
畳を外しているのが見えるでしょうか? 雨水に当たると畳が傷んでしまうからという事でわざと外しているそうです。
必要な時だけ並べるような感じでしょうか。
立派な狐が設置されています。親子の狐です。
色々な神社を巡り、色々な狛犬や狐、時には狼や猿の像も見てきましたが、造形の美しさでは思稲荷大明神のこれがトップクラスだと思います。
漁師の方々が景気の良かった時代にしっかりとお金をかけて作ったのでしょう。
やや物悲しげな眼が印象的です。
神社の管理は、私がお話しした女性を含め、数名の方々で行っているそうです。この日も神社の上の斜面の草を刈ったばかりとのことでした。
しかし、神社のお世話をしているのは皆さん高齢者で、後を継いでくれる若い人が地区に残っていないそうです。若い人が全くいないわけではないと思いますが、日本人の宗教観の変化も影響してか、お世話を進んで引き受けてくれる方はいないようです。
神社の成り立ちについての話が終わると、その女性は寂しそうにこう付け加えました。
「こういう話も語り継いでくれる人がいなくなってしまいました。私たちがお世話できなくなったら、神社のことはみんな忘れられてしまうでしょうね。」
私に小串を盛り上げることも、家から離れた小串の神社を守ることも難しいですが…。
せめて、この話だけはブログに書き残し、語り継いでいこうと思います。
思稲荷大明神に込められた「想い」だけは、途切れないように。
おばあちゃん、任せといてください!