玉野市の十万人都市構想の夢と現実


かつて岡山県の南部で大型の市町村合併による、岡山県南百万都市構想がありました。
政令指定都市を実現する為の構想で、もしも上手く進んでいれば広島より先に指定されているはずでした。
ただし余りに大きな枠組みで、実現手前で空中分解してしまいました。

百万都市構想は別のサイトの記事で紹介しているので、そちらをご覧ください。

この構想の後に岡山市、倉敷市が中心となって周辺市町村の合併を進めていく事になりました。
いきなり大きな枠組みで合併をして失敗したので、県南を代表する二市がそれぞれ合併を続けて最終的に政令指定都市を実現しようとしたのです。

この流れで倉敷市は現在でも市内の中心地区である倉敷、玉島、児島の三市合併を達成しています。

それに刺激を受けたのか、実は岡山市も三市による大型の合併をしようとしていました。

それが岡山市、西大寺市、玉野市という枠組みでした。
西大寺は多少の反対運動はあったものの無事に合併しましたが、玉野市は時機尚早として参加しませんでした。

玉野市は岡山市と一緒に大きな市になる事ではなく、独自に十万人の都市を実現しようとしていました。都市の規模として10万人くらいが適性と考えたのです。
そこで玉野市が考えた枠組みは玉野市、東児町、灘崎町、そして香川県との越境合併となる直島町の一市二町による合併でした。
この内の東児町は玉野市と合併しましたが、灘崎町と直島町は合併に到りませんでした。
灘崎町とはこの後も将来的な合併が確実視されるような関係を築いていました。しかし平成の大合併の際に共に岡山市との合併議論に参加した際に、玉野市だけが議論から脱退。灘崎町はそのまま残った為に岡山市に編入し玉野との合併はとうとう実現しませんでした。

直島町と玉野市は県こそ違う物の距離が近いので直島の住民は玉野市を生活圏として買い物や病院を利用しています。
こういった流れから、この時以外にも合併議論が出た事があります。越境合併は県の面積や漁業権などの問題が絡むので実現は容易ではありませんでした。

十万都市を目指した玉野市の人口は5万人台にまで落ち込んでいます。
適正な都市の人口を目指して、直島と合併するような日が来るのでしょうか…。




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