元岡山市長 安宅敬祐氏が死去 78歳、1991年から2期務める(https://www.sanyonews.jp/article/1046593)
2020年8月29日、岡山市の元市長・安宅敬祐氏がお亡くなりになられました。
1991年の岡山市長選で初当選、1999年まで2期務めました。
岡山チボリ公園計画からの撤退を決めた市長
安宅市長といえば30代以上の方だと印象的な市長ではないでしょうか。
この方の業績は色々とありますが、一番は「岡山チボリ公園」からの撤退でしょう。

2008年に閉園した倉敷チボリ公園は、当初は岡山市の市制100周年の記念事業としてスタートしました。
当時の松本 一市長や、長野士郎県知事が中心となって計画を進めていましたが、不透明で巨額なお金の動きや、計画自体の甘さなどから岡山市民の間で計画に反対する声が高まっていきました。
そこで松本 一市長は市長を辞職し、民意を問う為の出直し選挙を実施しました。
この時に岡山チボリ公園計画からの撤退を公約に掲げて対抗馬として出馬したのが、お亡くなりになられた安宅敬祐さんです。
そして選挙戦の結果、安宅市長が誕生し、公約通り計画からの撤退が決まりました。
市長としての安宅敬祐を思う
恐らく多くの人が安宅敬祐さん=チボリ公園からの撤退というイメージを持っていると思います。
身の回りで話をしていると、1選で勇退したと思っている方もいるほどでした。
安宅敬祐さんが市長時代に発表した著書に「グリーンライフ岡山の創造」という本があります。
現在では入手しづらい本ではありますが、岡山市の未来について単に都市化していくだけではない様々な考えが述べられています。
1996年に新設された中核市への移行、そして政令指定都市を目指す事を市長職の立場で初めて公言したのも安宅敬祐さんでした。
チボリ公園以外のことに関しても意欲的で、アイディアに溢れる方だったのです。
就任が49歳、岡山市にとって初の昭和生まれ(1942年生まれ)の市長でした。
より3期目を目指した選挙で若い萩原誠司さんに敗れて退任となりましたが、もう1期を見てみたかった市長です。
2009年に再出馬した際、個人的にはとても期待していたのですが、現職の高谷市長を敗れず、その後は市長選に顔を出すことはありませんでした。
ご冥福をお祈りします。