1964年の岡山県の聖火リレーに参加したあの人は、もしや…!?

昭和39年の岡山県人会の冊子を読んでいると、当時の東京オリンピック(1964年開催)の聖火リレーの記事が出ているのを見つけました。
残念ながら2回目の東京オリンピックは流行病の為にフルサイズで実施されませんでした。当時はどのようになっていたのか確認してみましょう。

こちらが記事です。


聖火は香川県からやってきました。
フェリーボートで国道30号の海上区間で届けられ、そこから30号~2号で岡山県庁まで届けられたようです。

ここで予備日の関係もあり、岡山県庁で2泊しました。ここで予備日が設けられていたのは波や風で海を渡れない可能性を考慮しての事だったのでしょうか。

そして再び国道2号沿いを進んで船坂峠で兵庫県入り…となったそうです。
県庁から峠までの所要時間は5時間ちょっと、意外とハイペースですね。同区間をGoogleマップを徒歩で計測してみると約40km、9時間と出てきます。
リレー形式で一人一人の走る距離があまり長くないので、そこそこ早く移動していたのでしょうか。

ちなみにこの走者ですが、区間ごとに正走者が置かれ、それについて走る副走者は2名、隋走者が20名とあります。一区間を23人が走り、43区に分けられているので総勢で989人が聖火リレーを走ったことになります。
記事を途中で切っていますが、この画像の下には正走者の名前が挙げられています。

正走者は16歳~20歳という規定があるので、社会人と大学生が僅かにいる以外はほとんど高校生が選ばれています。
その中で気になったのが…、岡山県での第一走者で玉野高校の「佐藤信哉」さんです。

岡山県玉野市出身の佐藤信哉…


(画像引用:日住協解放2005年9月号より)

確証はありませんが、もしかしてトーシン(トーシンパートナーズ)の創業者の佐藤さんではないでしょうか。
一覧に年齢や学年はありませんが、聖火リレーの時点で17歳の高校生です。早生まれなので学年は3年生、聖火リレーの栄誉にあずかっていそうな条件が揃います。
ただネット上で見る限りはそのエピソードは出てきていません。著名経営者のエピソードとしては取り上げられやすそうにも思いますが、この点は少し疑問が残ります。失礼ながら、名前も決して珍しいものではないので、同姓同名の可能性を排除できるものでもありません。
しかし、こうして誰かに行きつけるというのは興味深いですね。また本人と同定できるような資料があれば、この記事も修正しておきますね。

尚、佐藤さんは2008年に61歳の若さでご逝去されています。今更な気もしますが、衷心よりお悔やみ申し上げます。




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