【茶屋町】住宅街にぽっかりと残された聖域|「昭福寺跡」が語る、江戸から現代への信仰のバトン

先日、久しぶりに茶屋町周辺を散策しようと駅から移動していると、マップ上に「昭福寺跡」というスポットが登録されていました。
建物が少ないような田舎の街角なら、寺社の跡地が残されているケースは少なくありません。

しかし茶屋町駅から徒歩圏内のような住宅密集地では、跡地も早々に開発されて残されていないことが多いです。
という事で、そこを目的地に向かってみる事にしました。


これが昭福寺跡です。
思わず声が漏れます。残念ながら本堂や山門は失われていますが、寺院があったであろう敷地がきちんと残されています。
端っこに見える建物は大師堂。周辺でミニ西国三十三観音が整備されているようで、その一つに数えられているようです。
寺院が廃された後に、巡礼地を守る為に大師堂だけ残した…といったところでしょうか。建物も比較的新しく見えます。

ストリートビューで確認すると2015年頃にはかつての寺院の名残であろう面影が残されていますが、その時期に古いものを撤去するなどして現在のような形に落ち着いたようです。


敷地の隣が茶屋町の共同墓地になっています。
もしかすると昭福寺と墓地に何かしらのつながりがあるのかもしれません。実際、寺院跡の敷地は墓地の駐車場として開放されています。


大師堂の建物は新しいもので、跡地が整理された2015年の時期に建て替えられたものです。
位置は同じですが、もう少し古めかしく、寺院っぽい感じの建物がありました。

ただ、残念ながら主たる寺院に関する詳細は不明です。
ネット上で僅かに見られた情報を統合すると、寺院の起源は江戸時代の中期に庵が結ばれたのが起源です。
それが昭和になり寺院になったのが昭福寺です。

廃寺の時期は分かりませんでした。
ただ2015年まで多少なりと名残が残っていたので、例えば高度経済成長期とか、その辺りの時期はまだ活動していたのではないかと思います。
Googleマップの「跡」の表記を信じるのであれば、どこかの寺院の兼務になったりせずに廃止になったという事になります。無住で別の住職との兼務という形を取らなかったので、葬式仏教に陥らない形の活動を主としていたのかも…?と思いましたが、これはさすがに想像が幅を利かせすぎかもしれません。

また何かしら資料が出てくれば、追加で紹介しますね。




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