【新見市】高架に浮かび上がる謎の女性…たまがきの怪


吊りタイトルです。
たまがきを知らない人向けに、先に解説するので知っている人は読み飛ばして下さい。

たまがきとは?

たまがきは15世紀ごろの新見市に実在した女性です。
荘官(荘園の管理をする人)の妹であり、実際のところそれ以上でもそれ以下でもありません。


彼女の名前が知られるようになるのは死後、数百年も後の事です。
1462年、新見庄に直務代官として祐清という僧侶が派遣されてきます。たまがきは荘官の妹という事もあってか、彼の身の回りの世話をしていました。
しかし祐清はトラブルにより殺害されてしまいます。
その時にたまがきは葬儀や遺品のことなどを手紙にしたため、祐清の派遣元である東寺に送っています。

この手紙が現代まで残されており、貴重な農村女性の手紙として知られるようになりました。

高架のたまがき

さてタイトルを回収しましょう。
新見市高尾を南北に通る国道180号と、中国縦貫自動車道の交差する地点でたまがきのイラストが描かれています。


こちらです。
画像中央より少し上の辺りにたまがきがいるのが分かるでしょうか。
離れてみるので小さく見えますが、かなりデカいです。

たまがきと知ってみればなんてことはありませんが、知らない人が見たらギョッとしそうですね。


拡大した様子がこちらです。
「備中国新見庄」という文字と、たまがきが書状をしたためている様子が描かれています。

たまがきは前述の通り農村に住む普通の女性であった為、書状以上の詳細は伝わっていません。
背後からのショットはその謎めいた存在を象徴するようですね。

ちなみに駅前には正面も描いた像があります。


イラストの様子の正面側ですね。
机が八足に変わっています。以前に作られたたまがきの記念切手では背後からのショットが採用されましたが、机はこの八足の設定が採用されました。

余談ですが今回の写真は高架の南側ですが、北側にも同様のイラストがあります。
ただそちら側にはネットがかけられています。写真を撮る時は南側に回るのがお勧めです。




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