久し振りに新見市へ行ったので、約20年ぶりにたまがき碑を見学してきました。
たまがき碑は新見市西方の住宅地の一角にあります。
コメリなどがある場所から、芸備線の線路の方を目指すとすぐです。
車でも入ってこられますが、停車する場所がありません。
住宅地の中のいわゆる生活道路なので、迷惑をかけないように気を付けましょう。
たまがき碑はコチラです。
空の青が映り込んでいて美しいですね。
たまがきは新見市に実在した女性です。
特に著名人や権力者の娘というわけではないので、ほぼ一般人と言っても良いでしょう
たまがきの時代に、この看板にあるように東寺が新見荘を統治する為に派遣した代官の僧である祐清が派遣されてきました。
そしてたまがきはその世話役として身辺のお世話をしていたようです。
しかし祐清はトラブルに巻き込まれて殺害されてしまいます。
この時にたまがきは葬儀や遺品の整理などを行いました。
そしてその明細について東寺へ手紙を記しています。これが中世農村の女性が書いた文書が残っている非常に珍しい「たまかき書状」と呼ばれるものです。
この書状はそれだけでも価値のあるものですが、内容に興味深い部分が含まれています。
それが「一しろいこそて 一、一つむきのおもて 一、一ぬのこ 一 これ三の事ハ、ゆうせいの
かたミにもみせられ候ハ、いかほと候うれしく候」という一節です。
手紙の最後の部分に書かれており、白い小袖、紬の表、布子という祐清の持ち物を形見として貰いたいと書いてあります。
これらはいわゆる日用品です。
それをたまがきが望んだことから、そこには恋心のようなものがあったのではないかと推察されています。
しかしその手紙に関する返答は不明で、たまがきが望んだとおりに形見の品を貰う事が出来たのかなどは分かりません。