先日、矢掛町内を散策していると廃神社にたどり着きました。
いたずら防止のために場所を特定する情報は伏せますが、墓の中を抜ける長い階段を進んだ先にありました。
立派な社殿です。
建物の外観への損傷は少なく、怪談を上がっている途中は廃神社だとは思いませんでした。
しかし近付くにつれて厚みを増す落ち葉は、神社へ訪れる人の少なさを物語っています。
手水も立派な岩のものがありますが、こちらも枯れ葉で埋め尽くされています。
Googleマップ上では建物は表示されていますが、建物名は記されていません。道端の祠などでも表示されていることがあるくらいなので、神社が人の管理から離れて相当な期間が経過しているのでしょう。
ところで私はここを神社、神社と呼んでいます。いわゆる神社建築であることや、後に紹介する建物内部に鏡や神道の三宝などがある為ですが、正確には神仏習合ではないかと思います。
どこかからか落ちて飾られている額。
ここに鬼子母神と記されていますが、これは仏教の神様です。
ご利益としては暗算や後の子育てに対するものがあります。むかしは子供が早世することが多く、まさに神頼みだったのでしょう。
それが医療や食品の進歩によって、段々と神の手を離れいてったのかもしれません。
建物内部の様子。
お参り時点で少し引き戸が開いており、そこからの撮影です。中に立ち入ってはいません…というか、入ったら床が落ちると思います。
このような感じです。建物の窓が割れ、風雨にさらされて傷んでしまっています。
部屋の奥には祭壇がありますが、どのような祭壇だったのか分からないほど荒れています。
ここまで神社の場所があまりに不便なので移転の可能性も考えていましたが、これだけ残留物があると違うかなと思いました。もちろん様々なケースは考えらます。
この写真ではわかりづらいのですが、祭壇に人形が置いてあります。
子供の健やかな成長を願うような神社だったのではないかと思います。
今回の訪問時では詳細が分からないままでした。また資料を読んだりいていて何かしらの資料が見つかれば紹介します。