【津山事件】都井睦雄事件の呼称は誰が使い始めた?

YouTubeなどで津山事件の解説動画が増えてくるにつれ、気になっていた表現に「犯人の姓名を取って都井睦雄事件とも呼ばれることもある。 」というものがありました。
私は岡山県在住で、事件現場からは遠い県の南部に住んでいますが、一応は地元民です。しかしこれは普段は聞かない呼称です。

この都井睦雄事件という呼称があちこちに散見されるようになったのか?というと、どうやらWikipediaから出てきたようです。
音声読み上げソフトが普及してきて、wikipediaなどのネット上の情報を適度にまとめて読ませる動画が増え、それで都井睦雄事件というマイナーだった表現が急に盛んに使用されるようになったようです。

ちなみにwikipediaを調べてみると、津山事件の記事が掲載されたのが2005年5月10日。
そして都井睦雄事件という表記が登場したのは2005年6月18日の事でした。実はネット上には昔からその表記が掲載されていたのですね。


さて、ではこの都井睦雄事件は誰が言い始めたのでしょう。津山事件の公的な報告書である書類の名前でさえ「津山事件報告書」なので、公的にその呼び方をしようとしていたとは思えません。
実はこの表現を使っていたのは、どうやら地元である岡山県が最初からだったようです。

現在でこそ津山事件が起きた加茂町行重は津山市と合併していますが、事件当時は加茂町と津山は別の自治体でした。
その為、地元の方は「津山事件が起きたのは津山ではない」という事を口酸っぱく話していたものです。尚、津山事件の指す津山は、当時のマスコミが加茂町を津山市と混同したというわけではなく、広い括りとしての津山地方で起きた事件でという意味合いだったと考えられています。
もちろんそこには加茂町よりも津山という地名を用いた方が知名度が高いからという見込みがあったのは間違いないと思います。

しかし地元民としてはやはり津山という名称に嫌なイメージがつくのは好ましくなく、そこで犯人の名前から都井睦雄事件という呼び方を編み出したのではないでしょうか。近い時期に 阿部定事件も起きていますし、それを模したのかもしれません。
残念ながら津山事件、津山三十人殺しという言葉ばかりが先行し、都井睦雄事件という表現が広まる事はありませんでした。
しかし加茂町が合併し津山になった時代に、徐々にとは言え都井睦雄事件の呼称が広まってきているのは、なんとも皮肉なような気がしkます。




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