都井睦雄と雄図海王丸
かつて津山事件の代表的な文献として知られた筑波 昭の「津山事件」。
このブログでも紹介したことがありますが、現在津山事件の関係者の名前として用いられている仮名の出展でもあり、多くのメディアが参考にしていた資料です。
しかし近年になり、掲載されている内容の矛盾点が指摘される事が増え、少なからず著者の脚色や創造が含まれる内容であったことが指摘されています。
そうする中で犯人の都井睦雄について触れられなくなってきたエピソードが幾つか存在します。
その一つが今回のテーマである雄図海王丸です。
都井睦雄は近所の子供たちに小説の読み聞かせをしていました。
最初は自分が雑誌で読んだ小説を子供向けにカスタマイズしたもので、続いて自身のオリジナル作として雄図海王丸を執筆しました。
…という物ですが、これが事実ではないのではないかと考えられています。
更に「津山事件」の本自体でも草想社版の同著に掲載されていたのが、新潮文庫版では割愛されています。
津山事件を扱うメディアは現在も多く存在しますが、それらでも小説に関する話題は触れられなくなってきています。
どうして事実ではないとされた?
まず雄図海王丸は事件の公的な記録である津山事件報告書で一切触れられていません。
報告書は事件に直接関係がある事以外でもかなり細かく掲載されていますが、小説の件は出てきません。 都井睦雄の実は心優しい青年だったという事を物語るような重要なエピソードなので、事実であれば触れられていてしかるべきではないでしょうか。
後の時代に行われた事件関係者へのインタビューでもこの話題は出てきません。
更に津山事件の研究書である「津山事件の真実」では作品が矢野龍渓の浮城物語をベースに作られている事、残されている原稿用紙の筆跡が遺書で見られる都井睦雄のものと異なる事などが挙げられています。
同書では著者の筑波 昭自身へのインタビューも決行していますが、小説の原稿を「後で人づてで本人からもらった」と語るなど、小説の信ぴょう性を疑うインタビューの信ぴょう性自体も疑わしいというカオスな状況になっています。このインタビューでは他にも「あまり深く調べないで書いてしまった」、「現地には一度しか行っていません」(※滞在期間は一週間)という発言があり、この部分はwikipediaにも採用されています。
この本には他にも実在しないのではないかとされる人物の存在、本文中の矛盾点なども見られるので、個人的にも資料としての信ぴょう性には疑いを持っています。
ただし公平を期すためにこのインタビューを受けた時点で筑波氏が高齢だった事も触れておくべきだと思います。
原稿を亡くなっている都井からもらったとする発言や、他にもかみ合わない会話など、やや認知症が進んでいる傾向が見られます。
2011年で83歳という時点のインタビューで断じてしまうのは危険な事だと思います。
また小説の部分が嘘だったとしても、事件の最後に顔を知っている少年から紙と鉛筆を借りたエピソードなどから都井睦雄が地元の子供と交流していたという点は事実のように思えます。
事件から随分と時間が経過してしまったので、新事実が出てくることは期待薄ではありますが、解明されていないエピソードもまだ残されているのでしょう。
ちなみに私は上記のインタビューなどを見る以前から、件の本はフィクションが多いと判断して読破せずにいました。
上記の研究者のように細かな矛盾点などを改名したわけではなく、犯人の都井も、一緒に暮らしていた祖母も死んでいるのに内側の描写が細かすぎるので、フィクションが含まれていると感じたのでした。