サイトの方で津山事件の新聞報道についての記事を投稿しました。
事件直後の報道に都井睦雄の肺結核に関して興味深い物があったので、少しそれについて触れてみようと思います。
都井睦雄は肺結核ではなかった…?
事件直後の合同新聞(※現在の山陽新聞)の記事で、都井睦雄の肺結核に関して疑義を抱くような内容です。
睦雄の両親は肺病で亡くなっています。肺結核が出る家筋、ロウガイスジであると考えられた為に家の相続から外れ倉見を離れ貝尾で暮らすようになりましたが、この経緯について祖母から聞かされていなかったようです。
事実を知ったのが教員を目指して勉強をしていた時期だったとされています。そこからは自分も肺結核に罹るという強迫観念に近い意識にとらわれるようになっていきます。
そして勉強疲れから来る体調不良を肺結核だと自分で決め込んでしまった…という物です。
現在の津山事件の考察においても、睦雄の肺結核に関して否定するものや、悲観するほど重症ではなかったとする説があります。
記事中ではその決定打となった出来事として「徴兵検査」が挙げられています。
睦雄は徴兵検査の際の届け出に自分が肺病を患っている事を書いています。
そうする事でしっかり自分の体を調べて貰え、肺結核なのかどうかなどが判明すると考えていたようです。
しかし実際の検査は簡単に終わり、丙種合格という実質的な不合格となりました。
軍隊は集団行動である為、肺結核のような伝染病に罹っている人物は不合格とされました。
睦雄の場合は自分で届け出に書いているので、検査官としてはそれなら無難に丙種合格としておこうと判断した可能性が考えられます。
しかし睦雄はそうは考えず、検査官がよく調べるまでもなく肺結核と分かるような病状なのだと判断したようです。この出来事から睦雄が肺結核であると知られるようになり、関係を持った女性らが離れ、集落の中で孤立するようになっていき津山事件が起こるという流れになります。
もしこの記事の記載が正しいとすると、津山事件は睦雄自身の強迫観念に端を発して起きた事件であるという見方が出来るのかもしれません。
徴兵検査の異説
前述の記事では徴兵検査の届け出に肺病である事を書くことで、自分が本当に肺結核なのかを確認したかったという考え方をしています。
一方でそう書くことで徴兵を免れる事を目的としていたという説もあります。
津山事件では兵役につく事は成人男性のステイタスのように書かれる事が多く、それがかなわなかった為に差別的な扱いを受けるようになったという論調も見られます。
しかし実際には徴兵を嫌がり、様々な手段で兵役逃れをしていた人も多くいたそうです。睦雄の時代だと兵役逃れは非難の対象にはなったものの、まだ逃れる事が出来る時期だったのです。もう少し戦争が激化すると、丙種合格でも戦地に駆り出されるようになったので、この方法では兵役から逃れる事は出来ませんでした。
この説が有力説と考えるわけではありませんが、もしこの場合だと津山事件に対する見え方も変わってくる部分があり、興味深いと思い併せて紹介させて頂きました。