岡山市南区にある藤田神社は、周辺の干拓事業に民間でありながら尽力した藤田組、そしてその代表者である藤田傳三郎を讃える神社です。
元々は工事の成功を祈って創建されたものですが、工事完了後に藤田神社に転換した辺り地元の人の感謝の念がよく伝わります。

前に参拝した際に駐車場が増設されているのは見ていましたが、その奥に立派な石碑が設置されていました。


藤田翁公徳碑とあります。石が年季が入った雰囲気なので分かると思いますが、別の場所に設置されていたのが移設されたものです。
画像では文字は読めないと思いますが、藤田傳三郎の偉業について解説されています。
石碑の隣には案内の看板もあります。


この看板に石碑に刻まれている内容が記されています。
各々読んでおくように(笑)

私も藤田周辺に長くいましたが、地元の人の藤田傳三郎の知名度は圧倒的に高いです。
傳三郎まつりのように名前を目にすることも多いですが、小さな子供でもどのような人なのかを把握していたりします。恐らく学校の社会科や道徳の時間などで解説されているのではないかと思います。

この看板によると石碑が設置されたのは昭和26年です。
藤田組単独で行われた1~5区の工事完了が昭和25年なので、その記念として建てられたようです。


玉垣に多くの名前があります。

宮司さん自身もお金を出したのですね(笑)

この駐車場は令和に入ってから整備されたので、知っているような法人や個人前が見られます。
画像の左端にある「奉納参拝」の玉垣には藤田傳三郎のお孫さん、そしてDOWAは藤田組の現在の社名で末澤さんはその元トップです。

ちなみにまだ新しい事もあって、玉垣は新たな名前が彫り込まれている最中です。
幾つかの石柱には成約済みの札が掛かっていました(笑)
前述の通り藤田傳三郎は今でも岡山市南区の藤田~興除ではカリスマとして知られており、この神社も多くの参拝者が訪れます。
農業が盛んな地域なので、寺社に対する信奉に熱い土地柄でもあるんですよね。
神社への寄進を費用対効果で考える事に異論はあるかもしれませんが、この辺りで仕事をすることを考えているなら、ここに名前を刻んでおくのは非常に有用なのではないでしょうか。
まだ空いているところもあるようです、気になる方は神社に問い合わせてみてはいかがでしょうか。




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