高梁市川上町を散策している途中で、廃寺のような建物を見つけました。
明らかに管理されていない建物です。
念のために地図アプリネット検索で確認してみますが、この建物の名称のようなものは見えません。
インターネットは何でも情報があるように見えて、意外とダイヤルアップやADSLが普及する以前の近代の出来事に関する情報は少なかったりします。
この建物の状況からすると、使用されなくなったのは普及期以前です。ネットの情報に頼るのは難しそうです。
…という事で地元の人に話を聞いてきました。
尚、先に触れておきますがこの建物には額がついていて、恐らく「慈救殿」という名称だったのであろうことが分かります。
ちょうど近くで農作業をされていた人のお話し。
お寺ですか?と尋ねたところ、普通のお寺ではなかったように思う。との事。
ご近所の人ではあるものの、話しぶりからすると初詣だとか地域の行事でこの建物やその管理者と交流をしたりする事は無かったようです。
30年前までは現役だったようですが、2000年代に入る頃には使用されていなかったようです。
建物の隣に管理者の方が住んでいたそうですが、その建物は既に倒壊している…という事で、確かに建物の隣に建物が倒壊した跡が見られます。
建物が倒壊したのは最近の事だったようですが、人が住んでいたのは20年程前までだったそうです。
ストリートビューで確認すると、2014年時点で傷みが激しい状態で佇む建物が確認できます。
この建物が慈救殿の管理者のお住まいだったのです。
ストリートビューで更に追ってみると2023年時点で既に半壊状態になっており、私が見た完全に倒壊した状態は本当に最近になっての出来事のようです。
地元の人としては宗教施設の方の建物も遠からず倒れるであろう事から、道路側に崩れたりしないかなど懸念しているようです。
隙間から建物内部を覗いてみます。
隣の自宅だった建物の崩壊ぶりと比べると、こちらは意外と保たれている感じがします。
正面の奥を見ると三宝などの神具が見えます。近所の方の仰る通り、ここはお寺ではなく神道系の宗教施設だったようです。
しかし地元の人と交流があるような神社でもなかったとの事なので、新興宗教系の団体だったのではないでしょうか。こういった団体はカリスマである創立者がお亡くなりになったり第一線を引いたりすると、そのまま瓦解する事は珍しくありません。
宗教施設として使用されなくなった後も隣に人が住んでいた事を考えてみると…、という事で少し推測だけ想像を書いてみましょう。
夫婦で新興宗教の運営をしていて、その施設として慈救殿を設立した。夫婦のどちらかがその宗教の創立者で、拝んだり、もしかすると超能力的な特殊な力を有している人だったのかもしれません。その人が先に他界した後、宗教施設を続けていく事は難しくなり活動を休止。夫婦の残された一人はそのまま隣の自宅で過ごしていた…。
こんな感じだったのではないかと想像します。
もう少し調べてみたいと思うものの、きっかけが見つけられないと難しそうですね。
とりあえず1990年代の地図を探して、この建物がどのように記載されているのかを調べてみたいと思います。
そこから宗教団体名や隣に住んでいた管理者の名前が分かれば、もしかするとまだ法人格が残されているかもしれません。その辺りを軸に探せれば…と思うのですが、あまり期待しないで待っていて下さい。
肝心の川上町の1990年代以前の地図が見つかりません(笑)