岡山駅前への路面電車の乗り入れに伴い駅前名物の桃太郎像が移動する事が話題になった際、そのついでに…というと失礼ですが、同じく駅前に鎮座する「青春感謝」の像も少しだけ注目を集めたようです。
…この像、本当に知名度が低いです。
場所は駅前広場の少し外れの方、バスロータリーの辺りに位置します。
どーん。サイズを大きくして見ました。
青春感謝と書かれたこの像、何者なのかよく知らないという人も多いでしょう。
試しに知人に聞いてみたところ、新聞配達の苦学生の像だと思っていました。西川緑道公園の像(新聞を守る少年像)と混同しているのかと思いましたが、あちらを知っている方が凄いような。
閑話休題。
この像は第六高等学校と呼ばれた学校の生徒です。
かつて各地に配置されたナンバースクールと呼ばれるエリート学校の一つです。現在は学校の再編に伴い岡山大学の法文学部、理学部、教養部になっています。校地は岡山朝日高校の場所で、同校の立派な正門は六高の物が引き継がれています。
通う生徒たちの愛称は六高マンです。
以前に同じ岡山市にある岡山理科大学付属高校の生徒をリーマンと呼ぶことがありましたが、もしかすると六高マンの名残なのかもしれません。
ナンバースクールの誘致はかなり熾烈なものがあり、六高に関しては広島と岡山で誘致合戦が繰り広げられました。
国会議員同士の殴り合いにまで発展いています。
ナンバースクールの誘致に成功したこと自体も岡山県にとって名誉なことであり、それを記念して像を設置した…という見方も出来そうですが、エリートが揃った六高マンは岡山の文化にも様々な影響を与えたと言われています。
なじみ深いところでは岡山発祥とされるミル金を考案したのが六高マンです。喫茶店で金時のかき氷を食べている際に思い付きでミルクをかけて貰ったら美味しくて定番メニューになったという経緯で誕生しました。偶然と言ってしまえばそれまでですが、それを思いつく生徒の発想や、学校の実践を尊ぶ校風が合わさって誕生したともいえるでしょう。
この他には社会運動の本でも六高マンの話しを聞くことがあります。
積極的に運動にかかわっていく人が多かったようで、それらの本で目にすることは少なくありません。若い考えが当時の政治に反映されていたと思うと、ちょっと現在の大学生にも聞かせてあげたくなりますね(笑)
実際に六高の出身者は官僚や政治家が多く、社会問題に取り組むような校風があったのかもしれませんね。