かなり古い玉野市のパンフレットを入手しました。
この手のパンフレットは今も昔も出版時期を書いている物が少なく、こちらも例に漏れずいつの物か分かりません。
時期を特定できる情報が幾つかあるので、そこから考えてきましょう。
まず1971年に無くなった塩田が掲載されているので、恐らく1960年代まででです。この仮定の下でもう少し絞り込みます。
続いて十禅師山が国立公園として紹介されている事が挙げられます。瀬戸内海国立公園の一角という意味ですが、この辺りが追加されたのは恐らく1956年の第二次拡張の際です。
最後のヒントは金甲山にまだ送信所が無く、「近くテレビの中継所が設置される事になっている」という文言があります。NHKの放送開始が1957年なのでこのパンフレットが作られたのは1956年~1957年頃と考えていいでしょう。東児地区の編入前です。
前置きが長くなりましたが、ここからはパンフレットの内容を見て行きましょう。
まずは宇野港と渋川海水浴場です。
宇野港は宇高連絡船があった頃で、貴重な荷役風景が掲載されています。
海水浴場に関して言えば、この頃は遊泳エリアが仕切られていなかったので人が幅広くいるのが分かります。
昨今では海水浴自体の人気が低迷気味ですが、遊泳可能エリアが絞られているので、私は今の方が人が多いように見えました。
それともう一つ渋川海岸に「東洋のカンヌ」という呼び名があったのも初めて知りました。
現在では牛窓が日本のエーゲ海を観光のキャッチコピーとしていますが、これが採用されたのが1982年なので玉野は随分と先んじていたのですね。
続いては市内外の観光地案内です。
左ページのコースでは鷲羽山~下津井がよく案内されているのが特徴的です。
両者の当時の下津井の賑わいを思わせますね。
下段の料金表の備考欄に何故か三井造船(現・E&S造船、三菱マリタイムシステムズ)の時刻が記載されています。工場は交代制で常時動き続けているので、この時間帯で工場見学を受け入れていたりしたのでしょうか。この辺りは手持ちの資料でそれらしい情報を見たことが無いので分かりませんでした。
市内の観光地としては前述の十禅師山、そして金甲山、王子が岳が景勝地として紹介されています。
王子が岳は現在も観光地ですが、十禅師山は木々が茂っていてトレッキング目的で来る人以外はいない状況です。金甲山も既に観光地としては賑わいをうしなっています。
瀬戸大橋が出来て、瀬戸大橋の無い瀬戸内海の風景を見るという体験は廃れてしまったように思います。
王子が岳は瀬戸大橋が見えるのと、奇岩もあるので観光面では強かったのでしょうね。
漢字が王子が嶽なのが時代を感じさせます。
このページは市内のイベントなどです。
4月は造船祭。…そういう祭りをしていたのですね。
造船のイベントとしては夏に造船横のグラウンドで行われていた祭りがあり、今は秋に移されて実行されているのでその前身でしょうか。
2月の裸祭りに関しては以前に日比観音院の前住職から聞いた事がありましたが、写真を見るのは初めてです。前住職は西大寺観音院の会陽の起源は玉野市にあったと主張していました。残念ながらきちんと資料を揃えたりして知らしめる前にお亡くなりになってしました。
7月の花火大会は場所、開催頻度共に定まらない状況が続いていますが一応今も行われています。
右ページの帝国興業は現在のトンボです。1974年にテイコク、2006年に自社ブランド名を社名にしたトンボに改称しました。
現在は工場は玉野ですが、本社は岡山市に移されています。
その下の塩田は先に触れたもので、1971年まで続きました。下の二つの山田の果樹園、日比製錬所は今もそのまま残されていますね。
日比製錬所は中に立ち入る事は出来ませんが、当時の物と思われるようなレトロな建物が今も多く残されています。
最後は玉野の観光の一覧です。
観光地として紹介されているのは写真が掲載されているの物の他には与太郎様、硯井天満宮、常山城跡があります。
与太郎様は足のご利益で知られ、恐らくこの頃は木製の松葉杖を完治のお礼に奉納する習慣がありました。私が子供の頃に徐々に廃れ始めていましたが、この時期はかなり賑わっていた筈です。
硯井天満宮は菅原道真の伝説が残る神社です。硯井という井戸も残されていますが、よそから来た人が観光で訪れるようなスポットでは今も昔もなかったように思います。
もしかすると紹介するスポットが少なくなってきて、苦し紛れ…という感じでしょうか。
最後の常山城は当時は玉野の観光では鉄板の一角で、観光バスが訪れていたりした筈です。現在はどちらかというと肝試しスポットのようになっていますが…。
…という事で、パンフレットを見てきました。
こうしてみていると観光地も衰退したりするスポットがあるなぁと思います。
十禅師山、金甲山は景観に関しては抜群なだけに惜しい気がしますね。本文中でも書きましたが、せっかく瀬戸内海を見るなら瀬戸大橋のある風景をというのは至極もっともで、私も恐らく本四架橋の他県を訪れたら橋が見える画角で写真を撮りたいと思うでしょう。
しかしそれで手をこまねいている内に木々の管理も行われなくなり…、という負の連鎖はなんとか解消しておきたいと思うのです。
次の世代になんとかこれらの観光地を残していきたいです。