写真提供:岡山県

なんで変わったの? 通説も実は微妙…

岡山県北で一番の都市と言えば津山市。
旧津山藩の中心部であり、廃藩置県後には北条県の県庁所在地にもなりました。

そんな津山の地名の由来は鶴山公園で知られる「鶴山」の地名が転じたものです。

初代の津山藩主を務めた森家が津山城を建築する際に、元の地名である鶴山を改めて津山としました。
これが津山の地名のおこりと言われています。改めた理由としては鶴が森家の家紋と被る為…とされていますが、実はここに関してはやや議論の余地があります。
そもそも明確な理由が伝わっていません。

現在の有力説である森家の家紋と被るという説にしても、そもそも森家が入る城の地名と家紋が同じで何が悪いのかという事になります。
寧ろ逆に家紋に合わせて地名を変えるというケースもあるので、やや説得力に欠けるように感じます。
1688年に徳川綱吉が娘の鶴姫を溺愛する余り庶民へ鶴の字を使う事を制限する鶴字法度を出していますが、これは鶴山を改めるよりもずっと後の事です。

もちろん単に当時の森家が家紋と同じ地名を嫌がっただけという事で家紋説が正解なのかもしれません。しかし違和感というか、スッキリしない部分があるのです。今後の史料の発見次第では定説が覆る日が来るかもしれません。

鶴山を津山としたのは元々の旧地名に戻したという理由が有力説です。
津山という地名が元々あり、それを縁起のいい字である鶴に置き換えて鶴山が出来て、森家が鶴山の地名を変えようとした際に旧地名の津山に戻すことにした…という流れです。

意外と定着しなかった「津山」

さて何かしらがあって津山の地名になった鶴山。
しかし改名してすぐに現在のように津山という地名が固定されたわけではありません。
鶴山は前述の通り縁起のいい文字を含む地名であり、それが鶴山の地名が誕生した由来とする説もあります。

風流で縁起のいい響きを持つ鶴山は武士や当時の文化人が積極的に使っていました。
要するに「鶴の方がカッコよくね?」という感じで鶴山の地名が生き残ってしまったのです。
ようやく津山が定着するようになるのは廃藩置県後の事でした。

津山市史によると町村制を施行する際に城下町の中心部を独立させて津山鶴山町という区割りを作る事も考えられたようですが、結局は城下町を分断するのは良くないという事で市街地全体で津山町が誕生しました。
こうして津山は津山として定着するようになっていきました。

鶴山はついに消えた…わけではなく、1900年に一般公開が始まった津山城址を整備した公園が鶴山公園と名付けられました。
現在は二社を混同して使ったりする事はほぼありませんが、結局費えることなく続くことになった鶴山の地名に、鶴は千年の縁起の良さを感じるのでした…。




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