真庭市の帰りに津山市に寄って、前から気になっていた千代稲荷神社にお参りしてきました。
城東町並み保存地区を歩いていると、川辺に巨大な提灯があるのが見えるのです。
写真では分かりづらいかも知れませんが、本当に巨大で遠くからでも良く目立っています。
橋を渡って進んでいきます。
この橋はよく弾むので要注意です。
境内に入るとこのような感じです。
遠巻きに見る分にはなかなか立派な社殿なのですが、ここまで近づいてくると印象が一変します。
境内の様子はまるで管理されなくなった神社のようです。
写真中央の建物の中はこのような感じ。
雨漏りをしているらしく床が抜けてしまっています。
恐らく初詣や行事の際にお守りなどの販売をしていた場所なのでしょう。
しかしこの様子ではもう長く使用されていないようです。
絵馬掛けには古い絵馬が幾つか残されています。
書かれた文字などは読みづらいものが多く、ようやく1つ時期を確認できるものを見つけました。
平成丙戌年…、平成18年の絵馬です。
この時期を最後に神社でお守りや絵馬などを手配する人がいなくなったのでしょうか。
絵馬掛け等の荒れ具合を見ても、時期的にそれくらいのように思えます。
岡山県神社庁に宮司連絡先は登録されており、近くにある大隅神社と同じ電話番号です。
千代稲荷神社を管理していた人が何かしらの事情で手が回せなくなり、大隅神社の宮司様が管理するようになった。しかし宮司様も完全に2つを管理するような時間は取れず、お守りなどの提供が行われなくなった…。
そのような感じでしょうか?
拝殿です。
紙垂は新しく、社殿が管理されているのはわかります。
社殿の中もきれいな状態が保たれています。
千代稲荷神社は元々は鶴山の中腹に鶴山八幡宮の摂社として祀られていました。
当時の境内には大きな杉が有り、そこに鶴がやってきて1把の稲を落としていきました。翌年に人々がその籾を植えたところ豊作になったそうです。
人々はツルは神だったのだと考え、その地に壇を築き祀るようになりました。
鶴の千歳から名付けられた神社こそが、千代稲荷神社です。
江戸時代になると森家が津山を訪れ、鶴山に築城することを決めます。その時に神社は鶴山八幡宮と共に移転しました。
鶴山八幡宮と離れたのは1634年のことのようです。藩主・長継の夢に鶴山に戻すようにお告げがあった為に現在地より少し北の場所に移されました。
現在地に移ったのは1684年です。お告げの伝説からか藩主が松平家に移ってからも神社は厚遇され続けたそうです。
ただし城の鎮護として城の真下に鎮座した為か、千代稲荷神社に氏子となる地域はないそうです。
それにしても立派なのは本殿です。
周りにスペースが無いので写真が取りづらいのですが、非常に立派なものです。
ちらは津山市の重要文化財に指定されています。
これだけの社殿と立派な伝統のある神社。
もう少し管理されて欲しいなと切に願います。