八名信夫さんの実家の映画館って?
ブログの記事の関連で岡山出身の俳優、八名信夫さんについて調べていたところ、Wikipediaに次のような記述がありました。
父の亀億(ひさお)は(中略)芝居小屋兼業の映画館を経営していた
映画館…?
岡山市の映画館に関しては「消えた映画館を探して」という詳しい資料があるので、調べる事が出来そうです。
亀億という珍しい名前なので、そのまま検索してみると八名信夫さん自身の記事が幾つかヒットしました。
特に岡山空襲の罹災経験を語ったYahoo!ニュースの記事に詳しいのでリンクを貼っておきます。
国鉄職員だった父親が退職後に岡山市の中心部に劇場をつくったという解説と共に当時の写真が掲載され、入り口のCHITOSEという文字が見えます。
チトセ映画館もしくはチトセ劇場が名前だろうと思って調べてみると、チトセ映画劇場でした。前述の「消えた映画館を探して」にも、八名信夫さんの家の家業として紹介されていました。
名前は幾度かの変遷があり、千歳座→千歳劇場→チトセ映画劇場となったようです。
ただし千歳座は戦災で焼失しており、ここで歴史は一旦途絶えて戦後の1947年に再び立ち上げたのが千歳劇場とした方が正確なようです。
千歳劇場は時代の流れもあってか早々に映画専門に切り替わっており、チトセ映画劇場に改称したのもそれに伴うことなのでしょう。
閉館は1964年。当時の館長は八名信夫さんのお兄さんが勤めていました。
1月7日までだったので、どうやらお正月の営業を最後に閉館したようです。
どこにあった? チトセ映画劇場の場所を探す
ではチトセ映画劇場はどこにあったのでしょう?
チトセ映画劇場は閉館後にダイエーと契約してスーパーになったとあります。
これはダイエー柳川店の事です。1964年オープンの中国地方における一号店だった店舗です。
後にディスカウントストアのトポスに転換。ダイエーの経営再建に伴う中国地方からの撤退で2004年に閉店しました。
この場所がかつてのチトセ映画劇場があった場所です。
なるほど、確かに岡山市の中心部という表現の通りです。尚、岡山空襲の際に焼失しますが、空襲の中心部となったのはすぐ近くにあるNTTクレドビルの辺りだったそうです。
位置的にもひとたまりもなく焼失したのでしょう。
ところで場所について「西中山下横断歩道橋の手前を東に入り込んだところ」と解説されています。
つまり現在の国道180号の道側ではなく、細い路地側に入口があったということでしょうか。
チトセ映画劇場の建物が残っているわけではないので、思いっきり路地裏な風景になってしまいますが、右手側が入り口だったのかもしれません。
左手側にはル、フランという喫茶店の跡地があります。建物の感じからするとチトセ映画館が営業していた頃にもあったようにみえます。もしかすると映画館の客を狙った喫茶店だったのかもしれませんね。
ここで映画の時間をまったり、観終わった映画の感想を言い合ったり。そんな楽しい時間が流れていたのかもしれません。
という事で今回は八名信夫さんの実家が営んでいた映画館、チトセ映画劇場について紹介しました。