津山事件に学ぶ上で重要になる視点を6つ挙げてみます。
事件報告書などの資料で実証できないようなものは除外しました。
津山事件を考える上で大切と思われる6つの要素です。この辺りを気にしながら資料を読み進めていくと分かりやすいのではないかと思います。
肺結核
犯人の都井睦雄が罹患した病気で、当時の医学では不治の病でした。
事件の動機として考えられる要素は幾つか存在しますが、全てが肺結核に帰結すると言っていいでしょう。
注目すべきポイントとしては都井睦雄の肺病がさほど重症ではなかったとする説がある事です。
思い込みによるものだったという説です。実際に事件直前の睦雄は銃の練習で走り回ったりしていますし、事件の際にも一時間半で集落を駆けまわり30人を殺害しています。事件の最中は通常の精神状態では無かったはずですが、実は動き回るのが苦にならない程度の軽症だったという可能性も考えられそうです。
また肺結核の罹患が決定的になる出来事であったはずの徴兵検査で、自分が肺結核である事をアピールしていたという説も気になるポイントです。
集団生活になる軍での生活において肺結核は由々しき問題です。疑わしい人物をあえて合格にする必要はないと思わせた可能性もあります。
都井睦雄の立場で言えば徴兵に行かずに貝尾に留まる事で、復讐の機会を待てるという見方をするのであれば…? 津山事件の動機が肺結核として差別される以前の段階で固まっていた可能性もあります。そうなってくると事件の動機自体が根本から覆される可能性もあるかもしれません。
男女関係
都井睦雄の遺書でも大きく取り上げられているのが男女関係です。
集落内の女性と夜な夜な性行為に及ぶ夜這いから生じた関係ですが、特に肺結核が発覚後に女性が離れていったり、夜這いに応じなかった女性がその事を集落内で言いふらしたり。
また事件の直接的な動機の一つとして挙げられている深い仲にあったと考えられる女性との失恋があります。これも肺結核によって離れていったとされており、別の集落で結婚しています。彼女が帰郷するタイミングが事件の決行日になっています。
ただし事件後の調査に対し、夜這いや男女関係に関する積極的な回答は得られなかったようです。
夜這いの習慣自体は残っていても、感覚として外の人に話すのは恥ずかしい事であるという考えは存在したのですね。その為に事件発生の原因は都井睦雄に擦り付けられたともいわれています。
戦争
戦時中であったことは二つの意味を持ちます。
まず都井睦雄が集落の女性と関係を持つようになったきっかけの一つと見る事が出来ます。
徴兵で若い男性が家を離れており、集落に残っている徴兵前の青年である都井睦雄は平時よりもモテたのです。
そしてもう一つ、家に襲撃を駆けるにしても抵抗されかねないような若い男性がいなかったというのも、襲撃を決めたポイントとして大きかったはずです。
徴兵検査
戦争からの引き続きになりますが、徴兵検査は運命の分かれ道でした。
これが肺結核の為に丙種合格(実質的な不合格を指す)となりました。当時の青年男性はお国の為に出征し…というのが当時の流れだったわけで、それがかなわなかった都井睦雄は男性として半人前として見られるようになります。
またその原因である肺結核にり患している事が知られるようになるきっかけでもあったようです。今まで夜這い出来る関係にあった女性が離れていったのはこの結果を受けてでした。
都井睦雄は警察署での検査はお国の為の兵士の選定なのだからしっかり行われるだろうと思っていたようです。
先に紹介した通り積極的に自分が肺結核である事を伝えていました。徴兵検査のに余りじっくりとは調べられずに早々に丙種合格になったのは危うきに近づかずの精神でそうしたと考えられそうですが、都井睦雄は逆にちょっと調べるだけで分かるような症状の進んだ肺結核なのだと勘違いしてしまったともいわれています。
秀才
事件直後の報道では都井睦雄が学生時代に秀才であったことに触れる物が多く見られます。
秀才が起こした惨劇というギャップがマスコミ的には良い素材になると判断されたものと思われます。
なので当時の報道を見る際には、実際以上に都井睦雄を元優等生の真面目な人物として描くようなフィルターがかかっている可能性は考慮した方が良いでしょう。
ただし実際に学校から進学を勧められるほどの好成績を収めており、秀才ではなかったという事はありません。
村八分
津山事件は田舎の村八分の事例としてもよく取り上げられます。
2013年に発生した山口連続殺人放火事件の際にも津山事件が類似したケースとして取り上げられた事がありました。
村八分がどの段階から始まったのか?というと、やはり肺結核が明らかになった時点でしょう。
一部のサイトなどで田舎の集落に途中から越してきたことに伴う事、例えば天台宗である都井家に対して貝尾の人々は行重の真福寺の檀家であり真言宗で宗派が違う為…という記載も見られます。
宗派が違うと言っても天台宗と真言宗ですし、人の移動が全くないような時代でもありません。そもそも都井睦雄の後見人である祖母は貝尾出身です。
なので肺結核と見るのが妥当でしょう。
これには仕方がない部分もあります。当時の肺結核は不治の病。
感染しない事は自分を守る為の大命題であり、その為に遠ざけるというのは2019年から発生した新型コロナウィルスの際にも見られた現象です。
ただ一部の女性の態度の急変など、病気だから仕方ないというだけでは語りつくせない部分もあり、それが事件の端緒となった事は否めないでしょう。
という事で6つの視点について紹介してきました。
ネット上を見ると様々な考えがあり、中にはオカルトめいたものや裏付けがあるとは思えないような突飛な意見もあります。
このブログでも紹介した事があるサムハラ神社と津山事件を結び付けようとする考えなどもありましたね。
しかし遺書や事件報告書などを見ると、この6つを念頭に置きながら資料を読んでいくのが事実に一番近づけるのではないかと思います。
今後、津山事件を調べていく人の参考になれば幸いです。