【瀬戸内市】二重の苦しみを越えて|カウラ事件の語り部・立花誠一郎氏が遺した「平和のバトン」

カウラ事件目撃の立花誠一郎氏死去 晩年交流の若者らから惜しむ声(山陽新聞デジタル)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171110-00010004-sanyo-l33

立花誠一郎氏とは

このようなニュースがありました。(URL先は消えるかもしれませんがご了承ください。)
> 太平洋戦争中、オーストラリアの捕虜収容所で起きた「カウラ事件」の証言者であり、国立ハンセン病療養所邑久光明園(瀬戸内市)の入所者だった立花誠一郎さんが死去した。
>捕虜が恥とされた時代に生き残った負い目と、ハンセン病患者に向けられた差別。“二重の苦しみ”を抱え、古里に戻ることもできないまま、96歳の生涯を閉じた。
>晩年を中心に親交を深めた若者、劇作家たちからは悼む声が相次いだ。

カウラ事件とは

オーストラリアで起こった日本兵の捕虜が集団で脱走した事件です。
捕虜収容所の脱走事件としては、史上最多の人数でした。
捕虜の待遇は悪くなかったのですが定員オーバーのため、一部の人々を移送することになりました。
その為、分散されることを嫌った人々が脱走計画を立て実行しました。

これにより日本人は231名が亡くなっています。

立花氏とカウラ事件

立花誠一郎氏は収容所内で隔離されていた為に、脱走計画を知りませんでした。
なので脱走にも不参加でした。
終戦後、国立ハンセン病療養所邑久光明園に入所し、山陽女子高の生徒と交流を持ちながら事件のことを語り継いでいたそうです。

 

不勉強なもので、そういった方がおられる事を存じ上げませんでした。
語り継ぐ事に思うところもあったようですが、残された事実を大切に、今度は私たちが語り継いでいかなければいけませんね。




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Okayamania

Okayamania

岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。
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