少し前にサイトの資料として「実写!日本恐怖100名所」という、全国の心霊スポットを紹介する本を購入しました。
1978年出版の本ですが、せっかく購入したので幾つかスポットを紹介してみたいと思います。
千八百年前の幽霊(福岡県)
現・糸島市の前原町での怪談です。
1975年に1800年前のダブルベッド式石棺、そして乳幼児用の石棺が出土しました。
これを中央公民館に保管しようとしている、子供3人の幽霊が出てきたというのです。
この公民館には住み込みの管理人がいたそうです。
公民館に棺が入ってきて以降、管理人は腰痛に悩まされていました。タイミングがタイミングだけに石棺が怪しいと考えて祈祷師にお祓いをしてもらいました。
すると腰痛が一気に改善しました。
そして管理人は優しさか、それとも自身の恐れからか石棺にもお経を上げてもらいました。
これが霊を呼び覚ましたのか、大きな音や3人の子供が廊下を走る姿を目撃したそうです。
さすがに耐えかねた管理人は、教育委員会に依頼して石棺を町の資料館に移してもらい、それ以降は何も起きなくなったそうです。
真夜中の落ち武者(佐賀県)
多久市の幽霊屋敷の怪談です。これは1992年に休刊したフクニチ新聞で報じられて内容のようです。
「相原の幽霊屋敷」と呼ばれる廃墟があり、屋敷の中では真夜中になるとガシャッ、ガシャッという音がするといいます。
そして午前0時過ぎに庭に面した座席に鎧兜を身に着けた武者姿の人影が現れるのだとか。
著者が現地で調査した所ところ、幽霊屋敷に住んでいたのが相原という一家だったそうです。相原の…というのは、相原さんの家を意味するのですね。
多久太郎宗直の子孫に当たる一族で、かつては周辺の土地を支配する名家でした。
しかし龍造寺一族との勢力争いに負けて1570年に土地を終われ、それ以降この一族は不幸に襲われ続けます。
そして最後にこの屋敷に住んでいた一家は昭和30年代に自動車事故で兄弟2人を残して死亡。生き残った兄は謎の自殺を遂げ、弟は行方不明になり、屋敷は空き家になってしまったのだとか。
この階段は現在でも佐賀県で知られているようで、ネット検索でもかなりの数がヒットします。
しかし1978年時点の写真で既に建物は半壊状態です。これが現在まで残っている可能性はほぼ無いでしょう。
女幽霊像の怪…!!(長崎県)
長崎県長崎市伊良林にある幽霊寺こと光源寺の怪談です。
実は本文中ではずっと岩源寺と書かれています。同寺の公式サイトも確認しましたが、1970年代頃に岩源寺を名乗っていたという事はなさそうです。
光源寺は産女の幽霊の逸話にまつわる掛け軸と像の存在がよく知られています。
このブログの「心霊読書」でも、以前に京都市の飴買い幽霊の話を紹介しましたが、それと同じ子育てをする幽霊の怪談の一つです。
しかし光源寺に伝わる怪談はその話ではありません。
ある時、この幽霊の像の御開帳の日に参拝した人の1人が、像の悪口を言って拝むことさえしませんでした。
するとその人は宿に戻るとすぐに寝込んでしまったそうです。
…と、長くなってきたので今回はここまで。
また徐々に追加していきましょう。
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